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もうすぐ還暦の趙五連氏、「今回は独島33周」

もうすぐ還暦の趙五連氏、「今回は独島33周」

Posted May. 23, 2008 03:48,   

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「孤独ですね。苦しくもありますしね。私は独り者ですからね。でも成功すれば、胸の中を塞いでいた真っ黒な固まりが、あっという間に白く解けてしまうんです。それでわざと苦労に立ち向かったりするんですね」

56歳という若くない年。「アジアのオットセイ」こと趙五連(チョ・オリョン)氏は、挑戦を続ける理由をこのように語った。1980年、大韓海峡を横断した趙氏が7月の1カ月間、泳いで独島のまわりを33周する。済州(チェジュ)トレーニング100日目を迎えた趙氏に、外島(ウェド)のプールで会った。

●修道僧のような100日間のトレーニング

趙氏の挑戦を商業性を帯びたイベントとみなす人もいる。今回、ようやく後援をしてもらった金は3000万ウォン。趙氏はプールで、安そうな運動着を脱いで、水垢が付いた白色のスイミングパンツをはいた。現地トレーニングを助ける人は1人。2月11日、済州の地を踏んだ後、ペンションで直接食事をとっている。

午前11時、宿所から出て、8km離れた外島プールまで歩いて行った後、2時間の間、一時も休まずにトレーニングを行う。1日に4〜5時間あまりのトレーニングだが、50代半ばである趙氏には決して楽なものではない。「年をとったということは、よく分かってます。疲れが累積し、これを回復するために時間も、もっとかかり…」。疲れを回復する方法の一つが食事調節。朝飯と夕飯だけ食べる趙氏は3カ月以上、おかずに牛肉とうなぎだけを食べた。

01年、妻を心臓麻痺で失った趙氏は05年、鬱陵島(ウルンド)−独島(トクド、日本名=竹島)間の水泳挑戦の時と違い、今回は、二人の息子とも一緒に居ない。

●「遣り甲斐のある人生を生きてきたのか」と振り返ってみる

趙氏は5男5女の末っ子で、全羅南道海南(チョンラナムド・ヘナム)で生まれた。家庭はあまり豊かではなく、18歳(1968年)のときにソウルに上京し水泳を始めた。翌年、一般の部に出場し、400m、1500mを優勝し、一気に新星として浮上した。しかし、暮しは相変らず貧しかった。鐘路(チョンロ)近くの看板屋の店員として働きながら、YMCAで時間あるたびにトレーニングをした。

「牛肉を腹一杯食べてみたかったのです。朴兌換(パク・テファン)選手が科学的にトレーニングしているのをみていると、世の中が本当に変わったなと思います」。趙氏は日課後、朴兌換の競技をビデオで見ながら新しい技術を学ぶ。最も後悔されることは何かと問うと、「水泳を遅く始めたこと」と返事をした。朴兌換を見て羨ましさを感じているのかも知れない。

「水の中はさびしく静かです。最近は、その中で、『私は遣り甲斐のある人生を生きてきたのか』振り返ってみたりしています」

趙氏は来月中旬、済州を発って挑戦に出る。「今は独島だけ考えています。次ぎの目標はその次です」。



hic@donga.com