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「助かる。私がいてあげるから…」友達救って死体に 感動話続々

「助かる。私がいてあげるから…」友達救って死体に 感動話続々

Posted May. 15, 2008 07:27,   

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12日、四川省を直撃した強震で、綿竹市遵道津にある歓歓幼稚園の建物が崩壊して園児50人あまりと教諭3人が死亡した。

地震発生から1日が過ぎて救助隊が到着したとき、教諭の瞿萬容さんはうつ伏せの状態になって体全体で崩れ落ちたコンクリートを山を支え、頭と背骨が折れて死んでいた。ところが、その懐の方には子どもたちが軽い怪我だけで生きていた。

救助作業が進むにつれて「廃墟の中の小さな英雄」たちの感動の話が続々と伝えられ、大災害で失意の底にいる人々に感動と希望を与えていると、官営新華社通信など中国マスコミが14日報じた。

都江堰市の向娥中学校1年の小雪さんは、13日、崩壊した建物のがれきから救出され病院に搬送された後も、友だちである「小亜」の名前を呼びながら泣き止まなかった。話はこういうことだった。

12日の午後2時半ころ、地震が始まると、小亜さんは素早く教室を抜け出して避難した。ところが友だちの小雪さんが抜け出せないでいるのを知り、再び教室に戻った。その瞬間、カーンという音とともに教室が崩壊した。

しばらくして気を取り戻したら、二人の少女は手をしっかりとつないだままコンクリートのがれきに下敷きになっていた。小亜さんは「私たちは救われるよ。あなたが助かるまで一緒にいてあげるから」と石のがれきに首が押さえつけられて意識が遠くなりつつある小雪を2時間あまりを支えた。救助隊が到着して意識を失った二人をふるい起こすと、小雪さんは目を覚ましたが小亜さんは反応しなかった。

小雪さんは「私を救うために教室に戻ってさえ来なかったら…」と力が抜けた友だちの手を握って泣き出した。

都江堰市の人民医院では、5人の医師と看護士が盲腸手術を始めようとしたところへ、地震の振動が感じられた。電気が消え、人々は避難し始めた。しかし、彼らは非常灯などをつけて30分にわたる手術を終えたあと、患者とともに病院を抜け出した。

成都市の書園アパートに住む劉世偉さん(21)は、アパートが揺れて騒然となったなかでも、7階の階段を上下しながら年寄り10人あまりを背負って運んだ。

成都市にある第3幼稚園の曾琴園長は、地震が起きると、昼寝をしていた園児たちを起して全員を外に出して無事避難させた。近くの小学校3年に通う娘の安否は確かめる暇もなかった。園長は「私は子どもの親でもあるけど、人の子どもの世話をする教諭でもあります」と語った。



bonhong@donga.com