Go to contents

「処容、1100年も生き続いている文化コンテンツの粋」

「処容、1100年も生き続いている文化コンテンツの粋」

Posted May. 12, 2008 03:07,   

한국어

新羅・憲康王時代の879年に作られた「処容歌」は、高麗、朝鮮を経て、現代に至るまで、数多い伝承作を生み、舞踊や音楽など多様な分野の創作にモチーフを提供した。処容歌を分析した論文も数百本にのぼる。韓国サイバー大学のホ・ヘジョン文芸創作学部教授(42・写真)は、「このように1100年を越えながらも強力な生命力を持つ文化コンテンツは、その例がない」と話す。ホ教授は現代文学で博士号を取ったが、処容歌と処容の魅力に魅せられ、処容の研究にまい進してきた。大学3年生の時、「処容はアラブから来た商人」という学説に初めて接したのがキッカケになった。同氏は学界で注目していなかったこの学説の根拠を探し始めた。

ホ教授は研究の結果、他の成果も得た。「処容」が持つ文化コンテンツとしての力を発見したのだ。同氏は世界舞台でも通じる韓国の最も重大な文化遺産と評価するほど。同氏は処容に関するすべてを本にまとめた。処容のアラブ到来説に対する分析、文化コンテンツとして「処容文化」の活用策などを考察した『処容歌と現代の文化産業』(グルヌリム刊)。

ホ教授は、「処容がペルシア文明を根拠とするアラブの商人だという学説は、多方面で説得力が極めて高い」と強調した。同氏はまず「処容歌」の内容そのものからその根拠を見出した。

「ソウルの明るい月夜に/夜遅くまで遊びまわっては/帰ってみたら/足が四本じゃないか/二本は私のものだが/二本は誰のものなのか/元々は私のものであるはずなのだが/奪われたのをどうしよう」

ホ教授は、当時の郷歌が護国と讃仏的な内容が主流だったことを勘案するに、「姦通」をテーマにエロチシズムを扱った処容歌は、とても例外的で珍しい作品だという事実に着目した。同氏は、「三角関係、王妃の姦通などを導入部にしたペルシアの『千夜一夜物語』と構成が似ており、性的自由を扱った、当時のアラブ圏文学の感受性と似かよっている」と説明した。また、7、8世紀、ペルシア一帯の文学作品に幅広く広がっていた「恋人奪い」のモチーフとも共通しているという。

処容歌が作られた当時、シルクロードを通じて、西域の人と文物が新羅にかなり入ってきたという歴史的な事実も、処容のアラブ到来説に説得力をつけているとホ教授は付け加えた。また、「高麗史」に記録されている処容の容姿についての描写は、アラブ人という仮説を裏付けると強調している。

ホ教授は、「処容は地方の豪族の子息であり、処容歌は地方の豪族が中央の貴族に感じた葛藤の現れという解釈を含め、また違う解釈も多い」とし、「多様な学説が存在するが、当時のアラブとの交易事実、お酒と歌舞を楽しんだ行跡、記録に描かれたグロテスクな顔つきなど、全ての要素を考慮すると、アラブの商人とみられる」と主張した。

このように処容という人物が持つ神秘感、処容歌の風変わりな雰囲気のおかげで、処容歌は命を維持し続け、後代に引き続き別の作品に再生産されてきたというのが、ホ教授の分析だ。

しかし、ホ教授は、「これまでミュージカル、オペラ、小説、詩など、多様な分野で処容歌と処容を活用してきたが、処容を我々の文化遺産として総合的に管理しようとする努力はなかった」と指摘した。一例として、処容に関する資料を別途に集めたデーターベース(DB)が無くて、今回の研究を進める間、個別の資料を一々捜さなければならなかったという。

同氏は、「処容の文化ほど、韓国文化と世界文化の普遍性を共有している文化コンテンツは極めて珍しい」とし、「映画やドラマ公演は言うまでもなく、アニメーション、ゲームのようなデジタル文化のコンテンツとしても活用できる余地が多いので、体系的な管理が必要だ」と強調した。

ホ教授は最後にソウル国立中央博物館で開かれている特別展「黄金の帝国、ペルシア」(8月31日まで、02—793—2080、月曜日は休館)が処容を理解する上で、とても重要な役割をしていると評価した。処容について正確に理解するには、まず中東ペルシアと連携してみる必要があるということだ。



gold@donga.com