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レジデントを終えた医師、地方に殺到

Posted November. 09, 2007 07:50,   

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「ソウルに残りたい。しかし、如何せん、食べていかなければ…」

最近、人口1万人程度の全羅南道(チョルラナムド)のある都市に医院を開業した金某(38)院長は、ため息をついてこのように話した。

当初金院長は、ソウルで医学部を卒業した後、レジデントの過程を終えて、ソウル江南(カンナム)地域で開業する計画だった。しかし、市場調査をした結果、あきらめてソウルを離れることを決心した。

氏は、「大学に入ってからレジデントまでの16年間、若さを捧げた結果が『田舎医師』ということに、頭に来る時もあるが、現実を受け入れることにした」と語った。

●地方に医師が殺到

専門医過程を終えて独立する医師が、地方の中小都市に殺到している。

過去、医師は開業すれば、短期間に大金を儲けるのが常識だった。金ではなく名誉を選んだ一部の医師だけが学界に残るのが定説だった。

しかし最近、大都市の医療市場が飽和状態になり、利益を上げることが難しくなったため、競争がより少ない地方に移動しているのだ。歯科医や漢方医も事情は似ている。

東亜(トンア)日報が、健康保険審査評価院で得た05〜07年全国地域別医院現況を分析した結果、同期間で人口10万人当たり、医院が最も多く増えた地域は仁川甕津郡(インチョン・オンジングン)で、88.1%の増加率を示した。

次は、忠清北道報恩郡(チュンチョンプクト・ポウングン、48.4%)、慶尚南道山清郡(キョンサンナムド・サンチョングン、31.9%)、忠清北道清原郡(チョンウォングン、31.1%)、慶尚南道陜川郡(ハプチョングン、25.2%)、慶尚北道軍威郡(キョンサンナムド・クヌィグン、24.4%)、京畿道高陽市一山東区(キョンギド・コヤンシ・イルサンドング、23.5%)、慶尚南道咸陽郡(ハミャングン、20.7%)、慶尚南道昌寧郡(チャンニョングン、18.5%)、全羅北道鎮安郡(チョルラプクト・チナングン、17.1%)などの順だった。

このため、地方の患者が受ける医療の質は改善されている。

京畿道北部の農村地域の内科医院で会った40代の男性患者は、「以前は病院が遠くて、体の具合が悪くても行こうとは思わなかったが、今はソウルで患者を見ていた『実力派の医師』が町にいて心強い」と話した。

●「子どもは医学部に行かせない」

競争が激しい大都市を離れたからといって、所得が保障されるわけではない。

人口4万人程度の京畿道北部地域の都市に最近外科医院を開いた朴某(50)院長は、90年代までソウルで医院を運営し、安定した生活を送っていた。

しかし、2000年に急激に事情が悪化し、ソウルを離れた後、最近まで縁もゆかりもない地方を転々として、4度も開業と閉業を繰り返した。

朴院長は一時、開業医の生活をあきらめ、ある地方の総合病院に外科課長として就職した。しかし、その病院までも経営が苦しくなり、今年初めに3億ウォンの借金をして再び開業しなければならなくなった。

02年頃、地方に医院を構えた時には薬局が周辺になく、患者がやって来ないと考えて、不法で薬剤師を雇って病院の隣に薬局まで設けた。しかし、賃貸料と薬剤師の月給が手におえず、結局病院と薬局を閉めなければならなくなった。

朴院長は、「月収は200万〜300万ウォン水準。今やっと少し安定したようだ。今年、医学部に入学を考えている息子に苦労させないために、工学部に志望を変えさせた」と話した。

●20年前の医学部新増設が「田舎医師」を量産

田舎医師の急増現象をもたらした理由は、政府が1980年代後半に、今後、保健医療の需要が増え、医療人材が不足すると考えて、医学部の新増設を許可したためだ。

このため、1985年に31あった医学部と漢方医学部は、2000年に52に増加した。入学定員も同期間に3230人から4050人に増えた。

結果的に90年代初期から大きく増加した医学部の入学生は、05年を前後して開業する時点になって医療市場にあふれ出た。医師免許所持者(漢方医含)も、1985年の3万3385人から05年には10万676人と3倍近く増加した。

現在の傾向のままでは2010年には医師が12万人を超えるというのが、大韓医師協会(医協)の説明だ。このため医協側は、医学部定員の削減を強く主張している。

政府も、04年から入学定員を削減し、定員外の入学人員も減らし始めた。長期的には医学部の定員を10%削減する計画だ。しかし、「定員を30%減らさなければならない」という医協との意見の相違が大きく、妥協点を見出せずにいる。