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宣銅烈・三星監督が語る「5・18に奪われた黄金獅子旗優勝への夢」

宣銅烈・三星監督が語る「5・18に奪われた黄金獅子旗優勝への夢」

Posted June. 21, 2007 03:01,   

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「5・18のせいで優勝を逃がしたのです」

宣銅烈(ソン・ドンニョル、44)三星(サムスン)監督は、1980年謔R4回黄金獅子旗野球大会の決勝で善隣(ソンリン)商業高校(商高)に優勝カップを譲ったのは当時、光州(クァンジュ)の戒厳状況のためだったと、20日、打ち明けた。

宣氏は野球名門の光州第一高校(一高)在学当時、最高の右腕投手として名を博していた。しかし、黄金獅子旗とは縁がなかった。高校1年生の時の1978年大会の2回戦では、ソウル高に2—3、翌年の大会では1回戦で強豪の慶北(キョンブク)高とぶつかり4—9で敗北を喫した。

宣監督は1980年大会で光州一高を決勝に導いた主人公。同大会の8強で馬山(マサン)商高を相手に7回で7—0のコールドゲーム勝、4強では天安北一(チョナン・プギル)高と10回延長の末4—2で勝った。

宣監督は善隣商高(現在の善隣インターネット高)との決勝戦を「僕の人生で決して忘れられない試合だった」と振り返った。宣氏は先発登板したが、善隣商高に3—5で逆転負けした。ユ・ジホン(LGスカウト)に逆転安打、朴魯俊(パク・ノジュン、SBS解説委員)に2点ホームランを打たれるなど、3打点を奪われて敗戦投手になったこと。

1980年10月6日付けの東亜(トンア)日報は、8面のトップ記事で「左腕の真珠・朴魯俊が黄金の右腕・宣銅烈の防弾幕を破った」と報道した。そして同大会で敢闘賞を贈られた宣監督が水準の高い投球を披露したと評価した。

「毎試合で連投して体力が落ちていたし、善隣商高の朴魯俊が良く打ったのです。しかし、当時、光州は銃声が頻繁に聞こえてくるなど、殺伐とした雰囲気だったので、きちんとトレーニングできない状況でした」

1980年、光州の民主化運動当時、政府は非常戒厳を宣布した。通りを歩くのも危険な状況で、学校も臨時休校の措置が取られていた。

宣監督は学校で合宿練習ができなくなったため、当時、ソンジョン洞の実家で個人練習をしなければならなかった。宣監督の父親の宣パンギュ(昨年作故)氏が光州一高のチョ・チャンス監督と一部の選手をバイクに乗せて、家まで連れてきて、一緒にトレーニングできるように手助けしたりもした。軍人らが宣監督の家まで押し入って脅したこともあると言った。

「個人練習が3週以上続いたんです。選手らがそれぞれ自分の家で練習したため、チームワークが弱くならざるをえなかったんです。そのような状況で、黄金獅子旗に出たのですから…」

しかし、宣監督は「光州一高の後輩らが1983年と84年、そして2005年に黄金獅子旗の優勝の夢を実現してくれたので、代理満足できた」と明るい笑みを浮かべた。



beetlez@donga.com