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[社説]「一生懸命に勉強した生徒はいい大学には入れない」

[社説]「一生懸命に勉強した生徒はいい大学には入れない」

Posted June. 16, 2007 04:57,   

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国の未来を担う優秀な人的資源を育成するためには健全な競争を促す教育政策が必要だ。その意味で、各大学で優秀な生徒を選抜するために努力するのは当然のことであり、高校生たちがいい大学に入るために一所懸命に勉強することは褒められるべきだ。それなのに、政府はこれが稀有の社会悪でもあるかのように、昨日、史上初の「首相主催の緊急教育関係長官会議」を開き、弁別力の下がる内申を主とした入試要綱を大学に強要した。

政府方針に追従しない大学に対しては、財政支援金はもとより、科学技術処など6つの省庁が与える研究支援金を断ち切ると脅かした。税金から支払う大学への支援金は本質的に入試とは関係がない。政府が細部的な大学入試要綱まで口出ししながら、支援金を絶つと脅かすのは、権威主義時代にすら見られなかった横暴だ。

政府機関の調査によると、修能と内申の等級が一致しない事例はなんと75%にも上る。内申1等級の生徒が修能では7等級のケースもある。一方、優秀な高校での内申が3、4等級の生徒は、修能で1等級になることもありうる。実際に存在する学校間の学力格差を無視するのは、一所懸命に勉強して達成度の高い受験生を逆差別する政策だ。世界で、このような教育政策を展開する先進国など果たしてあるだろうか。

内申の実質反映率を50%だとすれば、修能試験の高得点者たちが集まる優秀な大学では内申だけで生徒を選ぶのと同様なことになる。入試を5ヵ月後に控えている今、政府が口出しして、学校と受験生の混乱をあおっている。

内申のために一線学校ではクラスメートの間で、ノートすら見せようとせず、ひいては深刻な人性の破壊現象まで現れる。標準化の欠陥を補うために、科学高校や外国語高校、自立型私立高校の設立を認めたなら、これらの学校の生徒たちが実力に見合う大学に入れるように後押しするのが常識だ。それでなくても、内申で不利なため、特別目的高校の生徒たちの自主退学が相次いでいる。

優秀な生徒の足かせとなる政府が人材立国を叫ぶのはお笑い草だ。これは政府が掲げる正義や公平性とも程遠い。「盧武鉉(ノ・ムヒョン)入試制度」のせいで苦労する高校3年生や父兄たちに果たして何の罪があるだろうか。