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自分たちの森林は自分たちで守る ヒャンハン理の「松契」

自分たちの森林は自分たちで守る ヒャンハン理の「松契」

Posted April. 06, 2007 08:01,   

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「山神祭を捧げる香積山(ヒャンゾクサン)の毛の先一つも触るな ヒャンハン理・松契(ソンゲ)のメンバーたちより」

4日午後3時ごろ、忠鋻南道鷄龍市奄寺面(チュンチョンナムド・ケリョンシ・オムサミョン)ヒャンハン理にある香積山のふもと。外国人僧侶の修行所である無上寺(ムサンサ)周辺に近づくと、森林の毀損を反対する垂れ幕があちこちに張られていた。

ちょっと変わっていたのは、垂れ幕を掲げた主体が名前すら聞いたことのない「松契のメンバーたち」ということだ。

50メートル余りをさらに登ると、無上寺の裏側について森林のいたるところが掘り下げられていた現場が現れる。ヒャンハン理・松契の財務担当のリュウ・ダムソン(46)氏は、「市民団体の共同対応提案も断って、松契を主体にたてて戦いを勝利に導いている。もはや元通りに修復することしか残っていない」と力をこめて話した。

●森林の守り手「松契」

松契は、朝鮮(チョソン)時代後期の18世紀初頭に、全国の地域住民が村ごとに周辺の森林を持続的に利用するため自主的にルールを決め、労働力や基金を拠出した「契(ゲ=韓国伝統の相互扶助の組織)」の集まり。契のメンバーたちはルールに則って、適正な伐採量や森林造成量を毎年割り当て、森林資源を枯渇させない範囲で森林を利用してきた。

かつては原油ほど重要だった薪や住宅材料である木材、農業に必要な肥やし(肥料)を森林から持続的に採取するために、「村の最も重要な共同資産」である森林を徹底に保護したわけだ。

契のメンバーたちはまた同組織を基に、様々な民俗を引き継ぎながら共同体文化を形成してきた。

しかし1970年代から経済発展で、燃料や肥料などの受給源が変わるとともに、急激に衰退して、現在活動中の松契は全国でヒャンハン理が唯一だ。

最近『錦山(クムサン、忠鋻南道)の松契』を書いた民俗学者のカン・ソンボク氏は、「全国的な調査活動を行ったが、ヒャンハン理ほど活発に活動する松契はもう残っていないようだ」と述べた。

またカン氏は、「東京大学の筒井迪夫名誉教授は、朝鮮時代の基層民たちによって運営されてきた松契は、次の世紀においても人類が採択すべき『持続可能な発展』モデルと類似していると評価した」とし、「松契はしだいになくなっているが、その意義がさらに注目されている」と述べた。

●契のメンバーは225人…基金だけでも3億ウォンあまり

森林管理のための共同組織であるヒャンハン理の松契と、無上寺の裏側に市有林3000坪余りを払い下げて開発しようとするA氏との戦いは、去年4月から始まった。この村の松契は開発現場周辺の44万坪の森林を所有している。

松契は開発に立ち向かって工事現場で実力阻止していたが、A氏が鷄龍市の不許可処分に立ち向かって行政訴訟を起こすと、現場調査に出た判事を相手に説得作業を行ったりもした。また、青年会や老人会などを招集して、開発業者の町の住民たちへの懐柔作業を妨害したりもした。結局A氏は、去年9月の行政訴訟で敗れた。

ヒャンハン理の松契も、1995年ごろ解体される危機に置かれたことがある。活動が減った上、森林に対する税金ばかり増えると、山を売却しようという意見が出た。

しかし、村を支えてきた根幹であるだけに活性化すべきだとして、契のメンバーを70人から225人に増やし、入会費を受け取って3億ウォン余りの基金を作った。さらに、放送局の中継アンテナ敷地への提供料やいおり(10個余り)のレンタル料を受け取って活動資金として使った。

森林保護は松契の根本的な任務だ。それぞれの庵の職員として働く町の住民たちから開発業者や庵の森林毀損、猟師の動物乱獲などについての情報を受けて対応している。時には町の青年会を軸に、狩用のわなの撤去運動も行っている。



mhjee@donga.com