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[オピニオン]苦労がたえなかった韓国「国民」

[オピニオン]苦労がたえなかった韓国「国民」

Posted December. 30, 2006 07:17,   

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マスコミ各社の総合ニュースのデータベースであるカインズ(KINDS)の総合日刊紙(東亜日報、朝鮮日報などの10社)のコーナーで「国民」という単語を検索すると、今年1年だけでも、29日現在、6万2860件の記事が現れる。各日刊紙の平均でみると、年間6286件、1日平均17件ずつ、国民という単語が入っている記事が掲載されたわけた。とりわけ、政治家は誰彼なしに「国民を」もてあそんだりした。皆がそのように国民のことばかり考えているのに、どうして国民の苦労は日増しに大きくなるのか不思議である。

◆「大統領職が務まりそうもないという危機感を感じる」、「任期をまっとうできない最初の大統領になりかねない」という話を聞くたびに、心の弱い国民は、ひょっとしたら、運転手が走行中にハンドルから手でも放すのではと、気をもんだりした。国民の手で大統領を選んで、運転席に座らせたのに、安心できる日はほとんどなかった。やらせてほしいと躍起になったのが昨日の事のようなのに、大統領の職が務まりそうもないなんて。国民としての苦労も大変だという思いすらあった。

◆国民の気苦労や体の苦労も多かった1年だった。「バダイヤギ(海の物語)」という賭博にお金を取られ、不動産の嵐に怪我を負ったりした。「江南国民」と「非江南国民」に分けられ、その間には到底わたりそうもない深い川ができた。厳しい家計で税金を払うことすら容易ではないが、国家運営だけでも充実にしてくれたらと思ったが、暴力デモのため、商売に支障が生じ、血税で立てた道庁の施設や警察バスが火の手に覆われた。寒い冬のある日、「悪法」の改正を求めて髪をそり落とした宗教者もわれわれ国民だ。北朝鮮のミサイルや核問題で気をもんでいる一方では、「われわれを狙ったものではない」とのんきなことを語っているのを聞かされなければならなかった。

◆高官や与野党の代表たちの新年の挨拶にも「国民」は欠かさず登場した。来年は大統領選挙まであるので、またずいぶん国民という言葉を口にすることだろう。選挙の際、票がほしいときは「国民が主人」とおだてるが、普段の国民は将棋の卒の駒にすぎないではないか。まともな国民にならないと、国民としてのもてなしもろくに受けられないようだ。新年はどうか「窮民」にはならないでもらいたい。

李進寧(イ・シンニョン)論説委員 jinnyong@donga.com