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[社説]「戦争しろというのか」で、国民をまた欺くのか

[社説]「戦争しろというのか」で、国民をまた欺くのか

Posted October. 16, 2006 03:09,   

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盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の人々は、北朝鮮の核保有をあまり脅威に思っていないようだ。大統領からして、北朝鮮の核実験を「小さな問題」と言った。与党ヨルリン・ウリ党の金槿泰(キム・グンテ)議長は、国連の対北朝鮮制裁にもかかわらず、南北経済協力は継続しなければならないと述べ、「主張の意志」を立証するかのように、開城(ケソン)工業団地を訪問すると言い出した。

東海(トンへ=日本海)上で放射能が探知され、昨日の国連安全保障理事会では、北朝鮮制裁決議案が満場一致で採択されたが、韓国の政権層の主な関心は、北朝鮮との関係維持に注がれている。彼らは、「何があっても戦争は阻止しなければならないが、北朝鮮を圧迫すれば、戦争が起きる恐れがある」という論理を説く。北朝鮮に対する断固たる対応を注文すれば、「それでは戦争でもしろというのか」と返す。金大中(キム・デジュン)、盧武鉉政権の8年半の間、耳が痛くなるほど聞いた言葉だ。

北朝鮮への一方的な支援の限界と問題点を指摘しても、韓米協力の必要性を強調しても、返ってくる答えは、「戦争が起こったら、どうするのか」といった具合の国民への脅しだ。朴寛用(パク・クァンヨン)元国会議長は、最近の著書『統一は土砂崩れのように訪れる』で、「北朝鮮の戦争準備に対処し、北朝鮮の人権状況を正そうとすることが、なぜ『戦争しろ』ということになるのか」と述べ、戦争挙論を「組織暴力団式の語法」と述べた。

盧政権の人々のこのような手法は、前の大統領選挙の時、自分たちは「平和勢力」であり、ライバル候補は「戦争勢力」とする宣伝煽動術を見せたことで如実に発揮された。これは今日、国際社会の核放棄圧力と制裁を「宣戦布告」と主張する北朝鮮政権の論理と一脈相通じる。最近、北朝鮮政権は世界に向けて「戦争も辞さない」と叫び、韓国政権は国民に向かって「戦争でもしろというのか」と問い詰める。大韓民国の政権勢力が金正日政権の何であるがゆえに、このように息がぴったり合うのだろうか。

韓国を戦争の危険に追い込む側は、盲目的な対北朝鮮包容主義者たちだ。感傷的な自主と、国内政治で非主流の限界を突破するために動員した「政治的自主」を掲げ、北朝鮮を助けて支援したが、帰ってきたのは核実験だ。原則も自負心も国益に対する戦略的考慮もなく、譲歩だけを繰り返えした融和政策の帰結である。歴史的に融和政策は成功した例がない。英国などが、ヒトラーの野心も分からずに譲歩だけをして迎えた第2次世界大戦は、決して他人事ではない。

包容政策が北朝鮮の核保有を阻止できなかったにもかかわらず、包容政策だけに固執すれば、次の段階では、北朝鮮の核の奴隷になるほかない。北朝鮮が核を持たなかった時も戦々恐々としたが、核を持った後にはどれほどのものになるのか。金正日総書記が、「核」と言っただけでも、韓国社会はマヒし、4800万の国民は夜も眠れなくなるだろう。その時も、「戦争でもしろというのか」という同じ論理で北朝鮮をかばうのだろうか。

任期の有限な政権が、大韓民国の未来をこのように追いこむことがあってはならない。「人類普遍の価値であり、韓国の憲法精神である自由民主主義と市場経済の具現」が国益だと言うなら、盧政権は考えを変えなければならない。中途半端な親北朝鮮左派理念で国を変質させ、金正日集団に捧げようとする考えでないなら、誤った包容政策は再考すべきだ。巧言令色で、国民をこれ以上騙してはならない。

国連安保理の対北朝鮮制裁決議に積極的に協力することで、誤った太陽・包容政策の落とし穴から抜け出さなければならない。表では「安保理決議を支持する」という外交部声明まで出し、裏では、何とかして制裁から逃げだす考えをしては、北朝鮮に核を放棄させることはできない。盲目的な包容政策ではなく、北朝鮮の行動と体制にまで変化を与える相互主義に即した対北朝鮮政策を急がなければならない。安保理決議の順守とそのための韓米協力の強化が、その第一歩にならなければならない。