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人文学危機の代案、秋史の見直し

Posted October. 03, 2006 06:58,   

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秋史(チュサ・金正喜、1786〜1856)他界50周忌(期日陰暦10月10日)を迎え、今秋相次いで開かれる秋史関連の特別展は、秋史体を超えて、秋史の真の姿が分かる機会だ。

●学芸の一致を求めて

3日から国立中央博物館で開かれる「秋史・金正喜:学芸一致の境地」(11月19日まで)は、秋史のアイデンティティーを、時代を代表する「人文学者・金正喜」から探し出す。秋史は金石学・経学・仏教・詩文学・絵など、多様な分野で突っ込んだ研究と業績を残した19世紀東アジアの代表的な知識人だった。

特別展は△金石考証学の影響を受け、韓国の旧碑石(北韓山の眞興王巡狩碑など)の意味を規定しようとしていた秋史の努力を見せてくれる碑石拓本、△清の学者である翁方綱が金正喜に送った「タムゲチョクトク」など、中国の有名な学者たちと交わしていた手紙を展示する。

さらに、百済の王仁(ワンイン)博士によって日本に漢字が伝えられたことを明らかにした「日本文化間草稿」など、幅広い人文知識と国際感覚を兼ね備えた秋史を追っている。

このほか、図録を通じてのみ知られていた△「残書頑石楼」、△歳寒図の跋文全体、△最高の墨蘭画と評価されている「不二禅蘭図」と40代はじめのきれいな楷書で、前安平(アンピョン)大君の四景帖(サギョンチョプ)を論評した文、△配流時代に龍山(ヨンサン)の実家に送った手紙を集めた「阮堂尺牘」、△草衣(チョイ)禅師に送った手紙集である「ナガムギョン」、△権惇(クォン・ドン)と秋史の山水画が一緒に表具された日本の高麗美術館所蔵の掛け軸なども一般に披露する。

京畿道(キョンギド)の果川(クァチョン)文化会館で11月7日まで開かれる「秋史文字帰郷展」も注目されている。今回の展示会は、日本で秋史研究の先駆者だった藤塚隣(1879〜1948)が寄贈した資料で構成された。

清時代の学者である汪喜孫が秋史に送った長文の手紙「汪喜孫書帖」、清の学者が朝鮮の学者に送った手紙「清大学者書簡帖」、秋史が北京から漢陽(ハンヤン=朝鮮時代の首都)に戻る際に中国の学者らが主催した秋史歓送会の場面を描いた「贈秋史東帰詩図臨摹」など、秋史を中心にした朝鮮後期の清と朝鮮間の学術文化の交流史がありありと分かる。

そのほか、澗松(カンソン)美術館は15日から2週間、秋史特別展を開催し、三星(サムスン)美術館リウムも19日「朝鮮末期の絵画展」(来年1月28日まで)で秋史室を別途に設け、宝物547号である般若心経帖(パニャシムギョンチョプ)と竹爐之室(チュンノジシツ)などを展示する。

●人文学危機の代案としての秋史

「秋史・金正喜の見直し」は、先月15日高麗(コリョ)大学文科大教授ら、26日全国93大学の人文学部の学長らが発表した「人文学危機声明」とも密接なつながりを持つ。多くの人文学者が現在の人文学の危機を「人文学の内部の開かれた姿勢と疎通不足」から探しているためだ。

朴性昌(パク・ソンチャン)ソウル大学国文科教授は、人文学の危機を逃れる手法として「閉鎖的な部分別学科中心の研究システムから脱し、学問的な連携が可能な人文学研究システムを活性化すべきだ」と主張した。秋史が成し遂げた学問的業績が統合人文学であるわけだ。

国立中央博物館のチェ・ウンチョン展示チーム長は「最高の墨蘭画と位置づけられている秋史の『不二禅蘭図』を見ても、文字と絵が調和をなす秋史ならではの詩書画を作っており、そこに文史哲を加え、完璧な独創の学問世界を成し遂げた。今後、秋史は秋史体より多様な領域を自分の学問世界に結びつけた人文学者として脚光を浴びるだろう」と評価した。



zozo@donga.com