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[オピニオン]身を投げ出す教授たち

Posted September. 30, 2006 04:19,   

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朝鮮時代のソンビ(官職につかない学者)に当たる集団が現代にいるとしたら、それは大学の教授だろう。教授らも「ソンビ」と呼ばれるのがまんざらではないらしい。朝鮮時代のソンビたちは、政治と権力志向が強かったという批判も聞くけど、その分、個人の欲望を優先せずに、公共の利益を重視した。公を優先して個人のことは後回しにする精神である。今日、このような昔の「ソンビ精神」をしのぶ人々が増えているのは、「自分の利益確保」に躍起になっているご時世への反動である。

◆昨日開かれる予定だった国立・公立大学の特殊法人化法案を議論するための公聴会が、突発の事態で中止となった。開始前から全国国立・公立大学教授連合会が公聴会の開催に反対するとの声明を発表した上、公聴会の開始直後、国立・公立大学の教職員40人あまりが壇上を占拠した。一部の教授は壇上に立ってマイクを握り、反対の理由について説明した。教育部は「法人化の対象は、希望する大学のみで、教授と教職員は定年が」としているが、聞く耳を持たない一部の教授らがついには身を投げ出して公聴会を阻止するにまで至ったのだ。

◆国立大学の法人化は、「高費用・低効率」体質の国立大学に自主性を与え、競争力を高めようとする試みである。韓国では95年から国立大学の法人化が議論されてきたが一向に進んでいない反面、日本は韓国での法人化の動きを受け、遅まきながら検討に取り組み、04年までに87の国立大の法人化を終えた。結果は大成功だ。東京大学は最高の「AAA」投資格付けを取得した。世界でも超一流の優良企業であるトヨタと同じランクだ。韓国の国立大学からは、大学の活路に対する真剣な苦悩は読み取れない。ほっておいても国民の税金で大学は生き延びると考えているためだろうか。

◆しかも、教授らの「公聴会反対」は情けない限りだ。朝鮮王朝が600年も続いたのは、ソンビらが公論を守るために命まで張ったおかげだった。公論とは、言葉の道ができて、風通しがよい状態をいう。李栗谷(イ・ユルゴク)は「空言は国中が乱される」と言った。言葉の道を守る最後のより所になってしかるべき教授らさえ目先の利益に気を取られ、公論を拒否したら、この国はいったいどこへ進むだろうか。

洪贊植(ホン・チャンシク)論説委員 chansik@donga.com