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すべてを与えて満たされる「分かち合いの人生」

すべてを与えて満たされる「分かち合いの人生」

Posted September. 09, 2006 06:15,   

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8日午後3時半、ソウル大学校人文学部校舎304号。

「永遠に美しい名を残せる仕事の機会を与えられた私がかえって感謝したい気持ちです」

4年前、喉頭がんで喉頭を摘出した鄭鉊圭(チョン・ソッキュ)信陽(シニャン)文化財団理事長(77)は、信陽人文学術情報館の建設基金の約定式で感想が代読されるのを聞きながら、かすかな笑みを浮かべた。

人文学部の李泰鎭(イ・テジン)学長は、「30年ぶりに文科学部が新しい建物を持つことになった」とし、感極まる表情で感謝状を贈呈した。

1952年、ソウル大学化学工学科を卒業した鄭理事長は、個人ではソウル大の歴史上、最高額を寄付している。ソウル大卒業生の中には鄭氏をはるかに上回る資産家も多いが、学校への寄付額では鄭氏の右に出るものはいない。

喉頭がんと胃がんで闘病生活をしながらも財産をはたいて寄付した回数は30回、金額は7月末現在、総額100億ウォンを超えた。

今回、人文学部に第2信陽学術情報館の建設費に約定した金額は30億ウォン。1967年に設立したテソンゴム化学を2001年に売却するまでゴム化学メーカーの専門経営者だった鄭氏は、1998年に信陽文化財団を設立した。信陽は鄭氏の号。

本格的な寄付に乗り出したのは、1999年に米ハーバード大学を訪問し、卒業生の寄付で建てられた数十棟の図書館を見た後からだった。

鄭氏は、「学生たちが学問的な雰囲気のなかで資料を探し、勉強にはげむことのできる図書館の必要性を切実に感じていたため、工科学部に図書館を寄贈することを決心した」と述べた。

「企業は個人のものではない」という持論に基づいて、2001年初頭、何のためらいもなく自ら設立した会社を売却し、電子図書館である信陽学術情報館を建て、学校に寄贈した。その見返りとしてソウル大工科学部は信陽学術情報館の4階に鄭理事長の事務室を設けた。

鄭氏の質素な生活ぶりは、学校の内外では定評となっている。工科学部の金道然(キム・ドヨン)学長は、「3年前、毎年500万ウォンの奨学金を受けていた中国人の大学院生とともに感謝の意を伝えるために訪れたことがあるが、『お返しに4000ウォンのカルグクス(韓国式の熱麦)をおごれ』とおっしゃったので一緒に食べに行った」と笑った。

造船海洋工学科の成宇濟(ソン・ウジェ)教授は、「春に中華料理店で晩餐会が開かれたが、残った料理がもったいないと言って保温弁当に詰めて持ち帰る姿に感動した」と話す。

鄭氏は今も毎日午前、事務室に出勤する。昼食の時は近くの学生寮食堂まで歩いて行って鄭氏自身「世界一おいしい食事」と呼ぶ昼食を食べる。その値段はわずか2500ウォン。毎年のソルラル(旧暦の元旦)や秋夕(旧暦のお盆)には帰省せず、図書館で勉強する地方出身の学生のためにパンと牛乳を買ってきて配り、学生たちを激励する。

鄭氏は、「図書館で勉強している学生たちの姿を見るたびに、私の判断は正しかったと思えて気分がいい」と笑う。

数十年前から家族には最小限の財産しか残さないと公言してきた。昨年には「誇らしいソウル大人」に選定された感想として、自分の子どもの前で「子どもに巨額の財産を残すのは、毒薬を与えるのと同じこと」と述べ、世間の話題となった。

長男は3年前から小脳萎縮症という不治の病を患っている1級障害者である。しかし巨額の財産を残す代わりに「家族の治療よりは、難病で希望を失った患者らの治療法の開発に使われる方がより意味のある財産の使い道」として10億ウォンの難病治療基金を5月、ソウル大医学部付属病院に寄付した。

李長茂(イ・ジャンム)ソウル大総長は、「鄭理事長の寄付は、ソウル大卒業生だけでなく、すべての国民に感動を与えている」と言って鄭氏の手を握った。

鄭氏は今後、不動産の売却が進み次第、さらに多額の寄付を行う考えだ。

「韓国の独立直後、全国が廃墟と化した状況の中で学校に通っていたが、工学の徒として韓国復興に寄与する、という自信を持っていた」と言う鄭氏は、「最近の理工科離れの話を耳にするたびに胸が痛む。ソウル大発展基金はハーバード大学の100分の1にすぎない。社会が大学を支援しない限り、韓国の将来は暗い」と話した。



peacechaos@donga.com