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日本植民地支配期の上海民族学校跡は今…

日本植民地支配期の上海民族学校跡は今…

Posted February. 28, 2006 02:59,   

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「上海再開発事業で、民族の魂がこもった旧学校の建物が、近く姿を消すことになりました」

日本植民地支配期、中国上海の唯一の韓国民族学校だった「仁成(インソン)学校」の閉校当時の建物を最近探し出したが、同建物が、上海エキスポ(2010年)を控え、撤去される危機に置かれていることが明らかになった。

同学校は、夢陽・呂運亨(モンヤン・ヨ・ウンヒョン)先生が1917年に設立し、初代校長を務めた。日中戦争後、日本総領事館が日本国定教科書と日本語を使用して教育するよう弾圧を強化したため、1935年11月に閉校した。上海に住む僑民の寄付と学費だけで運営されたため、閉校されるまで校舎もなく、市内を転々とした。

学校跡を追跡する教師の会「仁成学校研究会」は最近、現場調査を通じて、大韓民国臨時政府庁舍から1ブロック離れた盧湾区馬当路協成里1号に、旧学校の建物を発見した。

古い2階建ての建物で、現在は1階が商店に変わり、2階は中国人が住宅として使用している。同建物は1926年10月に閉校するまで、学校の建物として使用された。

仁成学校は毎年、50〜70人の卒業生を送り出した。校長や教師を務めた人は約60人。大半が独立志士だった。

安昌浩(アン・チャンホ)、金枓奉(キム・ドゥボン)、鮮于爀(ソンウ・ヒョク)先生が、校長兼教師として活動した。金奎植(キム・ギュシク)先生は英語を教えた。

東亜(トンア)日報社は1924年1月、同学校の財政負担を減らすために、中国元1144元を寄付した。

3・1節と韓日強制併合が成立した8月29日の国恥日には、上海の僑民たちがここに集まり、愛国歌を歌って記念式を行なったという。

同学校は、光復(クァンブク、独立)後の1946年に再び開校し、北朝鮮の教材で授業を進めた。その後、学生数が大きく減ったため1981年に再び閉校した。1992年の韓中国交正常化後、上海に訪れる韓国僑民が増加し、小・中・高校の課程を教える上海韓国学校が1999年に開校して、仁成学校の脈をつないでいる。

毎年4月に上海の魯迅公園(旧虹口公園)で行なわれる尹奉吉(ユン・ボンギル)義士義挙記念日には、韓国の学生たちがボランティアや詩文コンテストに参加する。

上海韓国学校は、政府支援金490万ドルと僑民の寄付210万ドルを基金として、6月頃、新しい建物に移転する。延面積約2000坪で、体育館や寄宿舎、図書館が整備されている。

研究会員の金ギョンファ(28)氏は、「6月頃に学校が新築されれば、上海韓国学校の新たな歴史が継承されるが、民族の魂が込められた旧建物を保存する案が通ってほしい」と話した。



min07@donga.com