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実は、韓国花嫁の「手の味」

Posted November. 25, 2005 08:29,   

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日本東北部の山岳地域にある山形県。現在、全体人口は120万人に過ぎないが、10あまりのキムチブランドが熾烈な競争をする、「キムチ激戦地」だ。結婚適齢期が過ぎた日本の農村男性に嫁いだ韓国女性たちが、副業にキムチを売りはじめたことから生じた現象だ。

民団山形県本部によると、日本人男性と結婚して現地に定着した韓国女性は、約1700人。1980年代後半に「韓国花嫁」が登場して以来、毎年増加し続け、今でも年間100人以上が、山形の農村で第2の人生をスタートしている。

いい相手に会って、家族仲むつまじく暮らすモデル例も少なくないが、30%ほどは適応できずに韓国に戻るか、東京などの大都市の風俗街を転々とする身に落ちこぼれる。

▲キムチ工場で発揮する韓国女性の力〓現地のキムチ製造会社の中で最大のマーケットシェアを占める「梅ちゃんキムチ」の金梅永(キム・メヨン、45)社長も、1992年に花嫁として日本に来た韓国花嫁第一世代。

ソウルで会社勤めをしていた時、先に定着していた先輩の紹介で、建設会社に勤める5歳年上の今の夫と見合いをし、日本行きを選んだ。夫の両親と同居し、平凡な主婦だった8年前、町内の人々にキムチ講習をしたのがきっかけとなって、キムチ事業家になった。

韓国女性たちが争ってキムチ販売に乗り出し、山形県一帯では、韓流熱風が吹くかなり前からキムチが現地住民の食卓にのぼり、晩秋には「キムチ漬け込み祭り」が開かれる。

金社長は、「韓国女性の一部は、日本ならどこでも富裕だという漠然とした幻想を抱いて来るが、それでは失敗する。まず、結婚相手をよく選ばなければならない。日本文化や生活習慣についても、十分に勉強して来れば、困ることはない」と忠告した。

▲ブローカー問題、離婚などの副作用も深刻〓韓国花嫁の山形進出は、1980年代後半に現地のある村が、忠清北道(チュンチョンプクト)のある地域と交流行事を始め、国際結婚を成功させたことがきっかけになった。韓国と同様、日本でも若い女性が農村生活を忌避し、40歳が過ぎても配偶者のいない男性が多い。

1997年の金融危機直後には、韓国で離婚した女性が子連れで再婚するケースが増え、最近では、朝鮮族女性が韓国で結婚して韓国国籍を取得した後、「韓国花嫁」となって日本へ来る例もある。

韓日の国際結婚をめぐり問題が続出すると、ブローカーたちは、岩手や秋田などの近隣地域に活動領域を広げている。日本男性も、初めは外見が似ている韓国女性を花嫁として好んだが、最近は、中国やフィリピン女性の人気が高まっている。

14年前、専業農家の夫と結婚して、模範的な家庭を築いた二戸春子(日本名、55)氏は、「日本の農村で生活してみて、韓国も東南アジアの花嫁を無視せず、人間的に温かく接するべきだと痛感した」と話した。



parkwj@donga.com