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北朝鮮拉致被害者の高ミョンソプ氏、30年ぶりに帰郷

北朝鮮拉致被害者の高ミョンソプ氏、30年ぶりに帰郷

Posted August. 13, 2005 03:07,   

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ベトナム戦争に出征し1973年に除隊した高氏は、1975年に故郷に戻り、2度目の漁に出た時、北朝鮮に拉致された。高氏はその後、北朝鮮で結婚し、平安北道成川(ピョンアンプクト・ソンチョン)の養鶏場で労働者として働いた。高氏の韓国にいる家族は、北朝鮮に拉致されたという確信はあったが、法的には行方不明と処理された。

しかし、1997年に仁川(インチョン)で旅館を経営している女性から、「中国と北朝鮮を行き来して商売をしている弟が、手紙の伝達を頼まれた」と、高氏の家族に連絡してきた。京畿道富川市(キョンギド・プチョンシ)に住む高氏の妹は仁川に駆けつけ、兄の手紙を確認した。弟のマンヨン(44)氏は、「手紙に、姉と私が幼いころ、故郷の家で遊んだ話が詳しく書いてあり、すぐに兄が書いたとわかった」と、当時を回想した。

高氏の家族は01年と03年に、母親の名前で離散家族の再会を申し込んだが、「確認不可」という返答を受けた。

家族は、政府に頼ってばかりではだめだと考えて、高氏を韓国に連れてくる計画を立て、拉致被害者の家族会の崔成竜(チェ・ソンヨン)会長に助けを求めた。

02年6月、ついに高氏を中国の国境地帯まで連れてくることに成功した。家族は高氏に会うため、母親とともにソウルで待ったが、高氏の北朝鮮脱出は成功しなかった。その後、高氏の便りはしばらく途切れ、家族は心配していた。

高氏は2度目の北朝鮮脱出を試み、3月24日に成川を発って、同月26日、新義州(シンウィジュ)に到着、28日に国境を越えて中国丹東に到着した。彼は北朝鮮脱出後、しばらくは北朝鮮に残した妻と子のことを考えて、「北朝鮮に戻る」と言い張った。

しかし、「お前に会わずには死ねない」という母親の言葉を携帯電話で聞いた高氏は、同月31日、中国瀋陽の韓国領事館の門をくぐり、家族再会に向けて一歩を踏み出した。高氏は7月20日にソウルに到着し、関係機関の調査を受けた。

高氏の家族は、「明らかに生存が確認されたにもかかわらず、政府が知らない振りをしてきたことが許せない」と、これまでの心情を吐露した。

母親の金氏は、「北朝鮮に残した子を心配する息子を思うと、胸が痛む」と、長いため息をついた。

同日、高氏の故郷の家には、親戚や住民、00年に帰還した拉致被害者の漁師・李ジェグン氏、チョンワン号拉致船員の家族、北朝鮮拉致被害者の家族会の会員など約50人が訪れ、高氏の帰還を祝った。

チョンワン号拉致船員の一人である李へウン(当時20歳)氏の母親のソン・ポンニョ(79)氏は、「どうして私の息子も連れてこなかったのか」と泣き、周囲を沈黙させた。李氏は、「1年だけ船に乗って、金を稼いで高校に通う」と言って、漁に出た。

また、他の拉致船員チェ・ウクイル(66)氏の夫人ヤン・チョンジャ(65、京畿道安山市)氏は、「南北の関係がよくなりつつあるので、一日も早く拉致船員たちとの再会を進めてほしい」と政府に訴えた。



cschoi@donga.com