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2ミリの針金で造った銀色の世界

Posted June. 28, 2005 06:03,   

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一日中休まずに何かを針金で巻く人がいると言えば、おそらく大半の人々は、「その人は頭がおかしい」と思うはずだろう。ところが、このような巻く労動を芸術に昇華させた若い彫刻家がいる。

彫刻家の朴スンモ(36・下の写真)氏は退屈に繰り返される針金巻きで作品を作る。彼の独特な想像力と執拗な労動の結果である「巻いた作品」は、美しさとともに「事物の本質」という哲学的な質問を投げかける。

彼は、本物の大きさのグランドピアノとコントラバス、長さ15mのカヌー、ビーナス彫像、自転車、ロッキングチェア、すき、風炉、仏像、仏頭像など、我々の周辺にある多様な事物を太さ2mm〜8mmのアルミニウムの針金でぎっしりと巻いて風呂敷のように「覆ってしまう」。

展示場で会う彼の作品のうち半分ぐらいは、針金の中に覆われたのが何なのかまったく見当がつかない。作品の横の実際の名前を見て初めて、「あっ、そうか」とうなずく。

世の中の事物(正確に言えば、実物をそのまま型を取った合成樹脂)は、針金という冷たい材料で包装されることによって、完全に新しい、他の品物として生まれ変わる。「覆うこと」と「表わすこと」との境界を悟ること、これが朴スンモ彫刻の妙味だ。

「輪郭だけ表われ、中身は隠された形象を見て、中身を知りたがる観覧客たちの姿が面白いです。外見だけ見て対象を判断してしまうこの頃の世相も連想され、見えるものと見えないものの差が何なのかという、事物の本質に対する哲学的な質問もするようになります。」

彼が「巻く労動」を芸術に適用しようと決心したのには、6年間のインド滞留が決定的だった。大学を卒業(釜山東亜大彫塑科)後、平凡な石造作業をしていた彼はある日、作業と生に対する疑問でそれ以上作業に沒頭できなくなるや、突然、インド行きを決心する。

インドを彷徨いながら冥想修行で内面を追及した彼は、自我(エゴ)と欲望の実体を追及した。ますます作業とは遠ざかり、「出家」を夢見たこともある。そのような時間が流れた。それから帰国を控えていた頃、偶然、カフェーに座ってA4用紙の上に、無心に鉛筆で同心円を引いていた彼は、ある瞬間、鉛筆の線で真っ黒くなった紙を見て大きな霊感を受ける。

何も考えず何も意図せず繰り返し作業をしているうちに、彼はそれまで自分が捨てようとしていた「エゴ」を忘れたことを悟ったのだ。そして、そのような過程を作品に連結させるなら、出家と作業も別々の道ではないと悟った。彼は彫刻家らしく、「線」を面と空間に拡張した。数多い試行錯誤のあげく、曲がりやすいアルミニウム針金を合成樹脂でキャスティングした対象の上に巻くのに成功する。

彼は京畿道驪州(キョンギド・ヨジュ)の作業室で、毎日午前8時から夜12時近くまで、針金を巻く作業を繰り返す。指の長さぐらいずつ接着剤を塗り、針金を付ける作業は、まるでカタツムリが這って行くような、とてものろい作業の結果物だ。「大変でないか」と聞くと、「雑念がなくて良い。そんな無我の状態こそ、私が望んでいた境地」と答えた。彼は作業を通じて冥想修行をする修道者のように見えた。この疾走の時代に、真実でのろい彼の労動は神聖にさえみえる。彼の初の個展が、ソウル仁寺洞(インサドン)アートサイドで7月4日まで開かれる。02−725−1020



angelhuh@donga.com