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[オピニオン]愛国と表現の自由

Posted March. 20, 2005 23:04,   

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「日帝強占下反民族行為真相究明特別法」に定められた親日犯罪、または反民族行為を擁護し賛美するのは、表現の自由の範ちゅうに入らないと見なし、処罰する法案をハンナラ党の元喜龍(ウォン・ヒリョン)議員が推進しているという報道があった。

◆言論と表現の自由の概念の古典となった『アレオパジティカ(areopagitica)』で、ミルトンは1664年、「全ての自由を超えて良心に従って自由に発言し、反駁できる自由」の重要性を訴えている。ボルテールは「私はあなたの意見に同意しない。しかし、あなたが自由に意見を述べられるように命をかけて戦う」と話したという。ボルテールがいつ、どこでそのような発言をしたのか、記録ははっきりしないが、言論の自由を強調する際、よく引用される文句だ。宗教、言論と出版の自由を制限できる法律を議会は制定できないと明示した、米国の修正憲法第一条もよく挙げられる。

◆これまで、自由で強調されてきたのは、何よりも権力に対する言論の批判だった。政治権力の乱用と不正に対する暴露、背任や違法行為に対する批判が主に強調されてきた。それゆえ、「もし言論に自由を与えれば、私の権力は三日も持たないだろう」と言ったナポレオンの話もよく用いられる。しかし、残念ながら、個人の権利の部分はあまり関心の対象にならなかった。人間社会が究極に追い求めるべきは、個々人の生存権利であり、言論と表現の自由もやはりそれを守るための文明社会の手段だと言うことができる。もちろん、それも無限のものとは言えないが、制限は最小限に止めなければならない。

◆元議員は自他共に認める合理的保守主義者だ。そして、その保守の概念の中には個人の権利保護が中核となっていると言っていた。彼の立法推進の動機がいかなる善意から出発したのであれ、全体主義体制の悪法の大半が「国と民族のために」という愛国的なスローガンの下で、個人の口にくつわをはめた事実をどうか忘れないでほしい。

朴明珍(パク・ミョンジン)客員論説委員(ソウル大教授・言論学) mjinpark@snu.ac.kr