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Posted February. 18, 2005 23:06,   

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●鳥の目

1961年から新しい写真を撮り始めたという著者(64)が撮影してきた30万羽余りの新しい写真から選んだ本の中の300枚余りはただ「これは何々の鳥」を語るためではない。著者が序文で明らかにしたように「鳥たちの疲れた日常の中に隠された生命の美しさ」を見せるためだ。

鑑賞のための鳥たちの美しい姿ではなく、子を生んで巣を作って命をかけて戦う彼らの切羽詰った生活が盛り込まれている。

そして、それは鳥の目にそのまま反映されている。悠々と空を飛ぶサギの粗悪な目、小川の水の岩に座って魚の動きを見詰めるカワセミの目、巣を別途に作らないで地をややきれいに均して巣にする小カワチドリ一対が地で対になる時の目、餌用で捕まったケラを加えているヤツガシラの目。

「鳥の目に何の表情があるの」という考えで写真を見ていて、もし彼らが私たちに何か話しているのではないかという驚きを感じたりする。「ごらんなさい人々よ、あなたたちが生きていくように私たちも生きているんです。あなたたちと一緒にね」。

このような目を撮ることができたのは最高の従軍写真作家だったロバート・カッパーの言葉のように、著者が「もう一歩鳥に近付いたから」だろう。

●鳥の愛

鳥たちは繁殖期に求愛の歌を歌う。ところで同じ種でも地方によってその歌が少しずつ違う。鳥にも特有のなまりがあるわけだ。歌を歌うのは雄だ。しかし一応雌を誘引するようになればほとんど歌を歌わない。

求愛を歌だけで表現するのではない。美しい鳥の羽を持ったキジのような鳥はもちろんのこと、普段しがない外貌を持った鳥たちも繁殖期には派手な羽が「舞台衣装」のようになる。カイツブリは雄と雌がお互いに水中バレーをし、カワセミとカモメは魚や田螺などを捕って雌に食べさせる。カワセミは捕った魚を岩に投げかけていつも頭の部分から雌の口に入れてあげる。魚頭一味は鳥たちも分かる。タンチョウもプレゼント攻勢には立ち後れない。チュウゴクモズクガニを捕っては両足を取り外して水に洗って雌にあげる。それにオオヨシキリやチョセンミソサザイは巣を求愛手段にする。「私どう。これほどの不動産があるよ」と自惚れるのだ。人と変わらない。

この本はこのような話を文よりは写真中心に見せている。著者の忍耐と執念が実感させられる。

●鳥の生活

爆弾テロ直後の場面のような写真が1枚(178ページ)ある。草むらサギの羽が地に散らばっており、所々に赤い血がある。首が切られた頭だけぽつんと残った。その隣の写真がどんな理由かを説明する。タカが早朝自分の体ほどの草むらサギを全部食べてしまったのだ。

鳥篭の中のように水と飼料だけ食べて優雅に死んでいくのではない。写真の中はまさに暮しの現場だ。暮すために食べて、子を飼うために食べさせる。その中で死は日常的だ。

鳥たちは眠るとき以外、覚めている間には餌を食べて時間を過ごす。繁殖期の過ぎた鳥は覚めている時間の80%を食べるのに使う。ツバメや雀は一日600回程度子に餌を運んでくれる。

鳥たちは遊んだりもする。タンチョウはとうもろこしの茎のところをくちばしで加えて空中に投げては足でひったくる遊びを繰り返す。写真の中のタンチョウは本当に楽しくぴょんぴょんと飛び上がる。

また新しい名前を並べる。多分少しは耳慣れの言葉だろう。トビ、アオバズク、コウノトリ、三光鳥、フクロウなど…。過去私たちの周りでよく見ることができたが、最近はほとんど影を潜めた鳥たちだ。著者は世界野生動物基金協会の掛け声を引用して読者たちに叫ぶ。「They Die,You Die(彼らが死ねばあなたも死ぬ)」。



閔東龍 mindy@donga.com