Go to contents

監督と選手の相性

Posted December. 22, 2004 23:11,   

한국어

「ずっと故障に悩まされてきたが、不思議なことに新監督の下では一度もけがしたことがない」。

ボンフレール監督(58)率いるサッカー韓国代表チームの「皇太子」李東国(イ・ドングク、光州尚武、25)。彼はボンフレール監督との出会いを「宝くじに当たったよりも運がいい」と表現する。2002韓日ワールドカップの最終エントリーに漏れ、その悔しさを酒で紛らしていた李東国を再びピッチに立たせたのは、入隊とボンフレール監督との出会いだった。

21日、FAカップサッカー大会のSK戦を最後に軍隊での全試合を終えた李は、「尚武(サンム)のユニホームを着て気をしっかり持たせることができたし、ボンフレール監督に起用されて自信を取り戻した」と話した。

「李東国も終わりだ」と後ろ指をさされていた彼だが、6月、ボンフレール監督が指揮を取ってから10試合で8ゴールを決め、攻撃の中核として浮上した。さらに、悩みの種だった膝と足首の故障まできれいに治ったというから、それこそ相性のいい監督と選手だ。

アジアで初めてワールドカップ本大会に5回連続進出し、ベスト4まで果たした韓国サッカー。その背景には、阿吽の呼吸ともいえる監督とスーパースターのコンビがいた。

1954年のスイス大会以後32年ぶりにワールドカップ本大会進出に成功したメキシコ大会。最初のコンビは金正男(キム・チョンナム)現蔚山現代(ウルサン・ヒョンデ)監督(61)と許丁戊(ホ・ジョンム)全南(チョンナム)ドラゴンズ監督(49)。許監督は「当時私は30歳で全盛期を過ぎていた。その私を快くレギュラーに起用し、最前線のストライカーを任せた金監督に報いるために全力を出した」と振り返る。

メキシコ大会の1年前に行われたアジア地域予選で、韓国代表チームは5回も再編されるなど混迷もあったが、金監督が指揮を取ってから本大会へのチケットがかかった日本との最終2次戦で許監督は決勝ゴールを決めた。

2002韓日ワールドカップでベスト4を実現させたヒディング監督(現アイントホーフェン監督、58)は朴智星(パク・チソン、アイントホーフェン、23)と相性がいい。ヒディング監督が就任した01年1月、20歳の無名選手だった朴智星はヒディング監督に出会って自分の実力を発揮し始める。ポルトガルとの予選試合で決勝ゴールを決め、韓国がベスト16に進むうえで決定的な役割を果たした立役者だ。

偏平足で体力も弱かった朴智星は、「私を信じてくれたヒディング監督のために、立っているのもやっとの痛みに耐え、死に物狂いで走った」とのちに話している。その朴智星は現在もヒディング監督に目をかけられ、監督率いるアイントホーフェンで活躍している。

1990年イタリア大会のスペイン戦で114kmのキャノンシュートを成功させ、李会擇(イ・フェテク、現大韓サッカー協会技術委員長、58)監督の体面を守った皇甫官(ファンボ・クァン、現大分トリニータ監督、39)や、1994年米国大会のスペイン戦で同点ゴールを入れた徐正源(ソ・ジョンウォン、水原、39)と金浩(キム・ホ、60)当時代表チーム監督も相性がよかったケース。

逆もある。1998年フランス大会の地域予選で7ゴールを決めて「車範根(チャ・ボムグン)軍団」の皇太子として浮上した崔容洙(チェ・ヨンス、京都パープルサンガ、31)は、いざ本大会の初試合だったメキシコ戦では先発に選ばれず、相性にもひびが入った。そのせいか、車監督(現水原サムスン監督、50)はメキシコとオランダに連敗し、途中更迭される試練を受けた。



權純一 stt77@donga.com