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220年ぶりに再現された伝統芸「山臺戯」

220年ぶりに再現された伝統芸「山臺戯」

Posted September. 29, 2004 22:22,   

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満月が雲の隙間から顔を出し、再び雲の影に隠れたりを繰り返した28日夜。京畿道水原市仁溪洞(キョンギド・スウォンシ・インゲドン)の文化の殿堂で行われた「実学祝典2004競技」(イム・ジンテク執行委員長)前夜祭で、韓民族固有の遊びである「山臺戯(サンデヒ)」が220年ぶりに再現された。

「山臺戯」は国王が城外へ出たり、中国の使臣を迎え入れるときに披露された大規模な遊戯で、6世紀の新羅真興(シルラ・ジンフン)王のとき、すでに山臺戯に関する記録が記されているほど古い公演だ。

朝鮮時代の記録によれば、山臺戯は主にソウル光化門(クァンファムン)前で披露され、通りの左右両側に置かれていた「クンサンデ(大きな山臺という意)」は高さ25メートルの巨大な飾り物だった。

この日の前夜祭では「ヨサンデ」と呼ばれていた移動型の小型の山臺を再現した。渓谷と洞窟のある山を象った高さ7メートル、長さ10メートル、幅3メートルの舞台兼用の飾り物である「山臺」が、屋外公演場に置かれた。もともとは車輪をつけて人が押し引きするようになっているが、今回は小型トラックで動くようにした。昔の記録に記されているように色とりどりの絹と幾多の布で包んではいないものの、木の枠の上にスチロフォームとスポンジをかぶせて緑色に塗り、その上に松ノ木、鹿、鶴、不老草の模型を設置して、昔の姿を復元した。

文献を通じてのみ伝えられていた山臺の形状は、中国・清の使臣・阿克敦が自分に対する朝鮮の迎接行事の場面を盛り込んで1725年に描いた『奉使図』が1999年公開されて、その姿が初めて明らかにされた。同日の前夜祭にお目見えした「ヨサンデ」は、『奉使図』の中の山臺を象って作られた。

ソウル韓国文化研究所の山臺戯専門家ソン・テド研究員は、「17世紀初めの『儺禮廳登録』などによれば、大きな山臺を作るのに、男性1000人余りが2、3ヵ月間動員されて、山臺に置く動物は剥製としたが、カササギ、烏、ミミズク、フクロウなど鳥類は生き物を20〜50羽ずつ飛ばしたりした」と説明した。このように雄大で精巧に行われていたため、費用がかさばり過ぎて、「文禄・慶長の役」や「丙子胡乱」以後、政府の財政が厳しくなり、1784年から山臺戯は中断された。

前夜祭で披露された「山臺戯」では、無形文化財58号の綱渡り名人の金デギュン氏が片方の足で綱を踏んで、もう片方の足で立ち上がったり座ったりする「ウェホンジャプイ」など、10種類余りの芸を演じて、観覧客500人余りの興を盛り上げた。

ユラ芸術団のソリクン(歌う人)と楽士10人余りが山臺に上がって雑歌のうち、立って歌う「ソンソリ」を披露し、ヤンジュビョルサンデの仮面踊り「エサダン法鼓遊び」と韓国芸術総合学校伝統芸術院演戯科の学生たちによる人形劇「コクトゥガクシ遊び」が興をだんだん盛り上げた。ジャンタリョンなどの民謡とブンムルグッが続くと、興に酔った観覧客が公演場に降りてきてカンガンスウレをしながら、2時間半にわたって行われた山臺戯が幕を閉じた。

一方、「実学の実用、民生、改革の精神を生かして大衆に近づく」というスローガンで29日開幕した「実学祝典2004競技」は、文化の殿堂など京畿道の随所で来月3日まで10余りの行事で進められる。031—267—0950、www.silhakfestival.com。



閔東龍 mindy@donga.com