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[オピニオン]独立運動家の子孫

Posted September. 22, 2004 22:08,   

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国家保勲処が毎月「今月の独立運動家」を選定して、その意志を称えているという事実を知っている人は、さほど多くない。「9月の独立運動家」は、大韓民国臨時政府の初代財務総長に選任されたが、それを断った崔在亨(チェ・ジェヒョン、1858〜1920)先生である。咸鏡北道慶源(ハムギョンプクト、キョンウォン)の貧しい家庭に生まれた崔先生は、9歳の頃、親に手を引かれて豆満江(トゥマンガン)を渡り、沿海州に移住した。異国の地であらゆる苦労を経験した末、財産を築いた彼は、名前もピョートルというロシア式に変えて、皇帝に謁見するほどまでに極東地域の有力者になった。

◆沿海州から抗日独立運動を導いた崔先生は、日本軍に逮捕されて銃殺される悲運を辿る。その後ロシアの地に残された崔先生の11人の子どもたちは、苦難を強いられた。1930年代には、他の韓人たちと共に、見知らぬ中央アジアの地に強制移住させられた。崔先生の孫である材料工学学者の崔バレンティン博士(66)は「祖父が韓国の独立運動家だったという事実さえ隠して暮らさなければならなかった」と振り返る。しかし現在、在ロシア独立有功者後孫協会の会長を務める崔博士には、もっと苦々しい記憶がある。

◆1990年の韓ロ国交正常化後、崔博士は、韓国政府がすでに1962年に祖父に対して建国勲章独立章を追叙していた事実を知り、感激した。祖国が祖父の功績を忘れていなかったということだけでも、これまでの苦労がすべて報われたようだった。しかし、子孫たちが冷戦時代に、交流のないロシアに住んでいることを悪用して、韓国で「にせ子孫」がなんと30年近く報勲の恩恵を受けていた事実を知り、驚愕した。「本当の子孫」である崔博士の家族が現われるや、韓国政府は一足遅れて勲章を再び授与した。

◆「にせ子孫」たちを直接探して問いただそうとした崔博士は、思いとどまった。祖父が補償を望んで独立運動をしたのでもなく、子孫が名誉を取り戻したことで十分だと考えたためだ。崔博士は現在、ロシア政府から受ける月20万ウォンにもならない年金で苦しい生活をしながらも、ロシアで活動した「愛国の士」たちの資料を整理することに、余生を捧げている。長い間祖国から忘れられ何の補償も受けなかったが、遠い異国で自尊心を守りながら暮してきた崔博士家族こそ、真の独立運動家の後裔ではないだろうか。

モスクワ=金ギヒョン特派員kimkihy@donga.com