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[社説]「過去」に縛られた光復節演説

Posted August. 15, 2004 22:10,   

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盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の光復節演説が「未来」より「過去」に焦点が当てられたのは遺憾だ。盧大統領は、「反民族・親日行為だけではなく、過去の国家権力が犯した人権侵害と不法行為も対象にならなければならない」とし、過去の歴史に対する真相究明の当為性を説明するのに演説の相当部分を割いた。合わせて大統領は国会内で過去の歴史を包括的に取り扱う真相究明特別委員会の設置を提案した。

言うまでもなく、過去の歴史の整理は必要だ。明らかにすべきことは明らかにして、歴史の教訓にすべきだという大義名分を否定する人はいないだろう。しかし、過去の歴史問題が、大統領が陣頭指揮するほど、国政の優先順位が高いと考えるのは難しい。過去の歴史の整理は関連学会に任せて、大統領と政界はより急がれる国家的懸案に本腰を入れるべきである。

今、「大韓民国」号は総体的な危機に直面している。国政全般にわたってどれ一つ信頼を与える分野がない。特に経済の場合、このまま行けばどん底に陥りかねないという内外の専門家たちの悲観的な見通しが続いている。国民の相当数が希望を失って生きているという世論調査の結果も、これと無関係ではないだろう。

こうした状況であるのだから、大統領は危機の原因を診断し、これを克服できる希望のメッセージを演説に盛り込むべきだった。なのに、民生と経済の立て直しについてはこれといった代案を示さないまま、「過去との戦い」だけを強調していては、国民の失望はさらに深まるしかないのではないか。実際にこの日、経済再生に関連して何か希望のメッセージが打ち出されることを期待していた財界は、演説が過去の歴史の究明にのみ焦点が当てられると、大きく失望しているという。

国民に希望とビジョンを示しつつ、未来に向けて走っていかなければならない政府が、過去に回帰し国力を浪費する、そんな国論分裂と葛藤を深化させるだけの、対策のない状況がいつまで続くのだろうか。盧大統領は、「分裂の歴史に終止符を打つべきだ」と述べた。しかし、まさにこの言葉こそ、国民が大統領に言いたい言葉であろう。