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[オピニオン]パロディー共和国

Posted July. 15, 2004 22:05,   

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ハンナラ党の朴槿恵(パク・グンヘ)前代表を性的に描写したパロディー事件が話題になっている。野党は大統領の謝罪を求めるなど、連日政府与党に猛烈な攻勢を加えており、政府与党は事態の収拾に追われている様子だ。不倫を素材にした映画ポスターを原作にして、女性の野党指導者を戯画化した写真を、しかも「国の顔」と言える大統領府のホームページに掲載したのだから、決して軽い問題ではない。「被害者」の朴前代表は言うまでもなく、良識のある国民なら眉をひそめるはずだ。

◆パロディーはいつの間にか韓国社会に深く根強いた表現方法になった。インターネットでどこかの検索サイトに入って「パロディー」という言葉を書き込めば、数百の関連サイトが表示される。パロディーが素材にする分野も、弾劾や総選挙、政党などの政治から映画、ドラマ、芸能人など文化、国民年金、餃子騒ぎなど社会分野に至るまで、実に全方位に及ぶ。このまま行けば、インターネット上の「サイバー大韓民国」が「パロディー共和国」になるかも知れないという気がするほどだ。

◆問題はパロディーの度合いだ。よく知られている原作をねじって新しいメッセージを表現するパロディーは、ともすれば固くなりがちな争点をユーモアーに変えることで、ポイントを鮮明にし、批判的な見方を育てるメリットがある。しかし、パロディーを作る人が「興味」にだけ焦点を合わせたり、偏った認識を持っていれば、パロディーの対象となる個人や組職に不当な被害を与え、見る人を誤った方向へ導く恐れがある。朴前代表と特定マスコミ社の「共生関係」を歪曲して描いた今度の「朴槿恵パロディー」は、まさにそうした例である。

◆しかし、パロディーの水準よりもっと失望させられるのは、大統領府の水準だ。インターネットが大衆化した時代に低レベルなパロディーの根絶が簡単でないなら、次善策は低質のパロディーをできるだけ流通させないようにすることが先決であろう。ところが、大統領府は問題のパロディーを14時間も放置し、あげくは前面に出したりもした。後で過ちだと釈明したが、大統領府関係者の間には「こんなことぐらい…」という認識があったのではないかと疑わしい。これも政府が掲げている「脱権威」の結果の一つであれば、そういうやり方の脱権威は「権威の喪失」につながるしかない。

宋文弘(ソン・ムンホン)論説委員 songmh@donga.com