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33人の勇将・徳将・知将が繰り広げる「武人列伝」

33人の勇将・徳将・知将が繰り広げる「武人列伝」

Posted May. 21, 2004 22:52,   

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「民族史を変えた武人たち」

黄源甲(ファン・ウォンガプ)作/655ページ/2万3000ウォン/インディーブック

民族史の節目ごとに戦勢を引っくり返した、武人33人の波乱万丈な一生を現場取材と考証を通じて描いた本だ。明瞭で力強い文章と多様な戦場の写真、人物画報が読む楽しさを一層引き立てる。強敵に立ち向かった数々の勝戦記録がとくに迫力溢れる。

「隋国(中国)が滅亡したのは4回の高句麗(コグリョ)侵攻に大敗したからだ。隋の煬帝は610年1月、中国史上最大規模の113万名の遠征軍を送り、服属を拒否する高句麗を侵攻し始めた。しかし、半年かかっても遼東(ヨドン)城を崩壊させることすらできなかった。煬帝は最側近の宇文述に30万名の兵士を与えて、平壌(ピョンヤン)城を直接攻撃するようにしたが、乙支文徳(ウルチムンドク)に踏みにじられてしまう。乙支文徳は、降参を理由に大胆に宇文述の陣営をよく見て回り、わざと連敗して彼らを内陸の奥のほうに誘引した。隋国の補給路が長くなると、すべての高句麗民家の食べ物を無くす「清野戦術」を駆使した。疲れて飢えた隋国の軍事は約2700名だけが生還し、宇文述は囚われの身になった。しばらくして煬蹄は宇文述の息子によって殺され、隋国は滅亡してしまった」

淵蓋蘇文(ヨンゲ・ソムン)、金庾信(キム・ユシン)、階伯(ケベク)、崔瑩(チェ・ヨン)、権慄(クォン・ユル)、李舜臣(イ・スンシン)ら国民的英雄と共に一般に知られていない武将の人生と武功まで紹介していて新鮮だ。高句麗初期に大帝国の礎を築いた扶芬奴(ブブンノ)と明臨答夫(ミョン二ムダッブ)、千年帝国新羅の跳躍期を導いた昔于老(ソク・ウロ)と金異斯夫(キム・イサブ)、花郎道のゴッドファーザーともいうべき金門努(キム・ムンノ)、唐に電光石火のような奇襲攻撃を加えた渤海遠征軍司令官の張文休(チャン・ムンヒュ)、契丹と戦って捕虜になったものの、最後まで降伏せず無残な死を遂げた高麗の強骨武将、康兆(カン・ジョ)らだ。

武将の勝戦史だけでなく武人らしい忠節を見せたところにも大いに胸を打たれる。高麗成立期の武将、申崇謙(シン・スンギョム)がそうだ。もともと能山(ヌンサン)と呼ばれた申崇謙は高麗の太祖王健の指示を受けて神弓の腕前を披露する。「あそこに飛んでいく三番目の雁の左羽を当ててみなさい」という指示を現実のものにした。感嘆した王建は、雁たちが飛び回った一帯の土地である平山(ピョンサン)を褒美に与えるが、申崇謙が「平山申氏」の始祖になるわけだ。申崇謙は以後、後百済軍に攻撃されて王建の命が危うくなると、王建と服を着替えて抗戦に乗り出した。結局、王建は生き残ったが申崇謙は首を切られた遺体で発見された。勇将であり忠臣の見本を見せてくれる。

著者の黄源甲氏(60)は小説家でありジャーナリストだ。1988年、「歴史人物紀行」を発刊して以来、「韓国史を変えた女性たち」など分かりやすくて楽しく読める歴史書の執筆に専念している伝記作家で、在野歴史学者でもある。



權基太 kkt@donga.com