Go to contents

[オピニオン]「脱北作家」

Posted March. 11, 2004 23:18,   

한국어

北朝鮮にいた時、ウラン精錬工場で働いていた金デホ氏(45)は、94年4月に韓国に来た。彼はソウルに来て5日後に行われた月刊「新東亜」とのインタビューで、「私が勤めていたナムチョン化学連合企業所は、年間20万トンのウラン鉱石を処理し、120トンのウランを生産した」と暴露した。精錬されたウラン120トンなら、核爆弾を20個は作ることができる膨大な量だ。しかし、当時マスコミは、金氏とともに韓国に来たヨ・マンチョル氏の家族にだけ関心を向け、彼の主張には別段耳を傾けなかった。

◆94年10月、北朝鮮と米国が米朝枠組み条約の基本合意に署名し、核危機は和らいだかに見えた。人々は韓米日が北朝鮮に軽水炉を建設して経済支援をすれば、北朝鮮も核開発をあきらめると漠然と楽観していた。このように油断していたところ、一昨年の10月に北朝鮮が突然ウラン核開発を認め、第2次核危機が噴き出した。クリントン米政府時代に対北政策調整官を務めたウェンディ・シャーマン氏は最近、「韓国人が北朝鮮の核の脅威を無視する態度を見せるのには、納得できない」と述べた。

◆金氏も、北朝鮮の実状に対する韓国社会の無関心と無知が残念だったと話した。それが彼が核開発に参加した自らの経験を小説にする作業を始めた理由だ。しかし97年に出した処女作『寧辺(ヨンビョン)薬山のつつじの花』は、警察などの関係機関の厳しい牽制を受けなければならなかった。金氏はその時「北朝鮮の核事実をもう公開しない」という内容の覚書まで書いたという。そのような経験をした金氏が、最近『寧辺薬山のつつじの花は咲かない』という2作目の本を出した。今度はいかなる圧力にも屈しないという信念を持って。

◆脱北者の多くは、北朝鮮の政権に対して強い反感と不信感を抱いている。北朝鮮で苦労する家族と再会するには、北朝鮮体制が早く変わらなければならないと主張する。北朝鮮の変化を促す団体を作って活動する脱北者も多い。政府が彼らの口をいつまで閉ざせるのか、南北和解にどれほどの効果があるのか疑問だ。政府がこのように無駄なことに力を傾けている間に、北朝鮮に対する韓国国民の錯覚と誤解はむしろ大きくなるだろう。

宋文弘(ソン・ムンホン)論説委員songmh@donga.com