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画家ルーベンスが描いた「韓国人」の秘密

画家ルーベンスが描いた「韓国人」の秘密

Posted January. 30, 2004 23:27,   

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『朝鮮青年アントニオ・コレア、ルーベンスに会う』

郭次燮(クァク・チャソプ)著/159頁/8000ウォン/プルン歴史

西洋芸術家が描いた最初の韓国人として知られている、ルーベンス(1577〜1640)のドローイング「韓国人(Korean Man)」。

しかし、絵の中の男が朝鮮人だという根拠はどこにもない。題目も後代に付けられたものだ。1983年、英国・ロンドンにあるクリスティ社のオークションで、ドローイング・オークション史上最高値の32万4000パウンド(約6億6000万ウォン)で売られたときの題目が「韓服(ハンボク、韓国の民族衣装)を着た男(A Man in Korean Costume)」だった。米国・ロサンゼルスのゲティ美術館に移す過程で、今の題目に変わった。

それでは、絵の中の男は果して誰なのか。ルーベンスはどのようにこの男を描くことができたのだろうか。

釜山(プサン)大学史学科の教授である著者は、西洋の美術史学界の史料と韓国、イタリア、日本の歴史学界の研究成果などを根拠に、ルーベンスの描いた人がヨーロッパの地に足を踏み入れた最初の韓国人と知られている「アントニオ・コレア」である可能性が非常に高いと主張する。

著者がドローイングの中の人物が韓国人だと信じる理由は次のようなものだ。男が使っているのは朝鮮(チョソン)時代の両班(ヤンバン、貴族)階級が普段使っていた方巾(バンゴン)の一種である冠帽だ。服は韓国の天翼(チョルリック)だ。天翼は朝鮮時代の士大夫から庶民に至るまで男女を問わず広く愛用された服。著者は天翼の形からして、17世紀以前に流行した種類であると推定した。

次は男の顔。西洋の学者たちは男の顔がモンゴリアン系統の特徴を持っているとしており、著者は鼻が低くなく、ほお骨がやや飛び出している点から、南方系のアジア人ではないと推定した。朝鮮人だと決め付け難いが、朝鮮人ではないとも言える理由も目立たないという、やや自信のない主張だ。

それでは、ルーベンスの描いた男がアントニオであると信じる根拠は何か。アントニオは慶長の役(壬辰の乱)のとき、日本に捕虜として渡った後、イタリアの商人であるフランチェスコ・カルレッティに売られてイタリアに渡ったという人物だ。

著者は、△アントニオがカルレッティとともに1606年7月、フィレンツェに渡って間もなくローマに住んでいた、△ルーベンスが1605年11月〜1608年10月ローマを訪問したという記録などを根拠に、ルーベンスが1606年7月中頃から1608年10月の間、ローマでアントニオに会って描いたものと推定した。

著者がアントニオに対して持っていたもう一つの疑問は、イタリア南部奥地のアルビー村に住むコレア氏たちが1990年代初め、一部のマスコミの報道のように、アントニオの子孫かという問題だ。著者はそう信じるような証拠は出なかったと言い切る。

アルビー村は1505年からスペインの支配下に入るが、スペインにもコレアという名字が存在するので、スペインのコレア氏たちがこちらに流れこんだ可能性がある。でなければヨーロッパの「クリア(Curia)」という名字が紆余曲折の末に改名してコレア氏になったかも知れないという。

以上の根拠だけで著者の主張に賛同することは容易ではない。しかし、豊かな写真資料を見て著者とともに謎を解いて行く過程はルーベンスのドローイングほど魅力的だ。



李珍暎 ecolee@donga.com