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[オピニオン]「百済の遺物」

Posted December. 03, 2003 23:20,   

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ハインリヒ・シューリマンが発掘したトロイの遺物は、現在ロシアのプーシキン博物館に所蔵されている。トロイの遺物が何の縁もないロシアに送られた訳は以下のとおり。ドイツ生まれのシュリーマンは、同遺物を1881年、ドイツ政府に寄贈した。遺物は、トロイ王の名前に因んで「プリアムの宝」と名づけられベルリン博物館に保管されていたが、第2次世界大戦のさなか、跡形もなく消えてしまった。ドイツを占領したロシアが、こっそりと持ち出したのだ。この事実が知られるや、ドイツは返還を要求し、ロシアは正当な戦利品との理由で拒んだ。トルコも、自国の領土で出土されたものだとして所有権を主張している。この事例から、文化財だけでなく、その歴史までもが力の論理によって、いくらでも違った角度で解釈されることが可能であるということが分かる。

◆韓半島に人間が住み着いたのは、およそ70万年前からと推定される。韓国でも漣川(ヨンチョン)、坡州(パジュ)、堤川(ジェチョン)、丹陽(ダンヤン)など、各地で旧石器時代の遺跡が発掘された。幾多の国々と人々がこの地で盛衰したはずだ。その点、我々は歴史と伝統に関する限り、誇りを抱いても良いだろう。しかし、朝鮮半島の歴史の実体を正確に復元することは、不可能に近い。考古学がいくら発達しても、数千年前の出来事を明かすには限界がある。歴史の記述が、常に勝者の役割であったことを踏まえると、古い文献も、全て信頼できるとは言えない。我々の歴史にも政治論理が支配しているのは同じである。

◆三国を統一する過程で敗北者となった高句麗と百済は、歴史の研究において相対的に疎かに扱われてきた。高句麗の場合、中国に堂々と立ち向かいながら領土を広げた偉業で、ある程度の評価は受けているものの、遺跡がいずれも北朝鮮と中国地域に残されているため、堀さげた研究は行われていない状況。特に百済は、文化水準や国力の優れていたことが明らかにされたものの、依然として詳細な歴史の失われた「忘れられた王国」のままである。百済初期の都として記録されている河南慰礼城(ハナムウィレソン)の位置がどこだったのかについてすら、これまで学説が分かれており、風納土城(プンナップトソン)に固まったのは、つい最近のことだった。

◆4、5世紀のものと推定される百済時代の華麗な遺物の数々が出土し、百済の歴史に再び耳目が集まっている。事実、歴史復元の問題は、国内に限るものではない。日本、中国など近隣諸国は、彼らの視点から歴史を眺めようとするため、部外者によって歴史が歪曲される可能性は常に存在する。正しい歴史を復元し守るためには、国力が強くなければならず、歴史に対する一般人の関心が高くなければならない。歴史歪曲事件が発生すれば興奮し、すぐに忘れるのではなく、日ごろ我々の歴史全般にわたって、関心と愛情をもって見守る姿勢が必要である。

洪賛植(ホン・チャンシク)論説委員 chansik@donga.com