「悲運はいつまで続くのだろうか」
鄭夢憲(チョン・モンホン)現代峨山(ヒョンデ・アサン)会長が自殺で生涯を閉じるや、現代グループの一族は兄弟の相次ぐ死と政治的な疑惑の絡みで、大きな衝撃に陥っている。
「韓国経済の成長史はまさに現代の歴史だ」という誇りを持っていた「 鄭周永(チョン・ジュヨン)ファミリー」は行き詰まりに追い討ちをかけるかのような不幸まで重なっている。
▲兄弟の相次ぐ死〓故鄭周永現代グループ創業者の息子の中で、事故で亡くなったり自殺した人は計3人にのぼる上、弟まで32歳の若さで夭折した。
創業者の五番目の弟であり、東亜(トンア)日報の記者だった鄭信永(チョン・シンヨン)氏が、1962年4月ドイツ・ハンブルクで腸閉塞で他界したのが現代家を訪れた不運のはじまりだった。
創業者は有能で真面目な弟信永氏をかなり誇らしく思っていたが、ハンブルク大学の博士課程で経済学を研究していた彼の突然の死に大きな衝撃を受けたと、側近たちは言う。
続いて創業者の長男の鄭夢弼(チョン・モンピル)仁川(インチョン)製鉄会長が82年、交通事故でこの世を去った。90年には平素から持病を患っていた4男の夢禹(モンウ)氏が自殺した。
▲二代に渡った政治的な試練〓政治的な試練も続いた。92年、創業者が大統領選挙に名乗りをあげて失敗したため、現代グループは大きな打撃を被った。昨年には6男の鄭夢準(チョン・モンジュン)議員が代をついで大統領選に出たが、意志を遂げられなかった。
鄭会長が率いる現代グループは、昨年9月以降、5億ドルの対北朝鮮不正送金疑惑が浮上して、政治的な事件に絡まった。
一時財界ランク10位にまでなり、97年解体された漢拏(ハンラ)グループも、現代一家の浮沈に大きく影響した。
創業者のすぐ下の弟、鄭仁永(チョン・インヨン)前漢拏グループ名誉会長の次男である夢元(モンホン)氏が、94年に後継者として指名され、漢拏グループを率いてきたが、97年漢拏重工業の倒産とともに、他の系列会社も清算と和議の決定が下され、グループが事実上崩壊した。
夢元氏は昨年5月、優良系列会社を通じて漢拏重工業に資金を支援した問題で拘束起訴され、3年の刑を宣告されたが釈放され、現在控訴中だ。
▲兄弟の経営権争い〓現代グループのある首脳は「00年3月から6月にかけて起きた『経営権争い』から芽生えた兄弟間の葛藤も現代一家の悲劇だ」と指摘した。
「経営権争い」以前まで、現代建設と現代電子(現ハイニックス半導体)、現代商船など、現代グループの主要系列会社を率いていた鄭会長は、創業者から現代グループの後継者として事実上目されたものとみられていた。
しかし、鄭夢九(チョン・モング)会長側が現代自動車グループを分離させるのに成功すると、後継者への夢は水泡と帰してしまった。
鄭会長は中核の系列会社が分離されて、小グループに転落した現代グループの舵取りへと格下げされたのだ。
鄭会長は、以後現代峨山取り締まり役会長として対北朝鮮事業に取り組んできたが、これも金剛山(クムガンサン)観光事業の不振、北朝鮮の核開発問題による南北関係の冷え込み、対北朝鮮不正送金疑惑の特別検事捜査などを受け、苦しい日々を過ごす不運を経験した。
鄭会長は、昨年9月対北朝鮮不正送金疑惑が持ちあがってから4ヵ月間、海外を転々として国内で波紋が収まるのを待ちながら息を潜めていた。
今年初め、帰国してすぐ対北朝鮮不正送金特別検事チームにいく度も喚問され取調べを受けると、鄭会長は側近に「とても苦しい」と、胸の内を打ち明けた。
金東元 daviskim@donga.com