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500年前との対話 儒者の目で儒者の生き様を追う

500年前との対話 儒者の目で儒者の生き様を追う

Posted August. 01, 2003 22:08,   

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「竹の森に座って天命図を描く」

白承鍾(ペク・スンジョン)/488ページ/1万8000ウォン/トルベゲ 刊

「青山もひとりでに、緑水もひとりでに/山も寺も水もひとりでに、山と水の間で、われもひとりでに/恐らくひろりでに生まれた人生かな、自ずと老いていかん」(河西集から)

歳月はそうして流れ、朝鮮王朝中期の大学者、河西・金麟厚(キム・インフ、1510−1560)は世を去ったが、それから約500年の時間が経過した21世紀初めにある学者が彼に語りかけた。

「恐る恐るお聞きします。儒者の生涯はどういうものだったのですか。儒者の一生を要領よくまとめてもらえないでしょうか」(白承鍾)

「白教授の質問は、それこそ空の雲を掴めという命令のように聞こえます。複雑な人生、それをどうやって一言で語ることができようか」(金麟厚)

こういう会話で始まった二人の対話は、理想的な儒者像、儒者の日常、妻と家庭、朝鮮の空と地、師匠と友、科挙及第、詩と酒、天命図などを渡りながら金麟厚の目を通して見た16世紀朝鮮の儒者の生き様と考え方を生き生きと描き出す。

微史研究者の白承鍾教授(西江大史学科)は、すでに日本による植民地支配期の平民階級の知識人・李チャンガプの内面世界を考察した著書『その国の歴史と言葉』(クンリ・2002)を通して、その時代に対する微史的なアプローチを試みた実績がある。

これまでの微史研究は、文字が解読できた上層階級民たちが残した資料を踏まえて記述された支配者中心の歴史から脱却し、多様な日常的な史料を活かして下層階級民たちの考えや行動などを研究することに主力してきた。しかし、白教授は「日常史の研究対象が必ずしも特定階層だけに限定される必要はない」と、この研究方法を今度は、朝鮮王朝時代の儒者たちの生き様と思想を究明するのに適用した。そして、金麟厚に「歴史とは民衆の歴史だけではないのです」と言わせることで、著者が今後取り組もうとする微史研究の方向を示している。

著者は、「イデオロギー的な混乱期を克服し、新しい時代の理念を立てるために努力している時代、という点で金麟厚の時代と今は共通している」と語った。著者はまた、「イデオロギーの入れ替え期に人々がどういうことを悩み、どう紐解いていったのかを見たかった」とも話している。その面で、朝鮮に性理学が確実に根付く直前の、朝鮮の知識人社会における金麟厚は、最も適切な人物と言える。性理学とともに仏教、道教などを習っていた知識人たちが、性理学を唯一のイデオロギーとして受け入れるようになる16世紀の思想の流れが、まさに金麟厚の生涯を通してよく表れているからだ。

とくに仮想対談という形式は、金麟厚のような人物に接近する上で大変効果的だ。文・史・哲が分離されていなかった時代に、大部分の知識人たちは、詩や跋文などの形で自分の思想を表現していたが、この手の文章は文学以外の分野ではまともに評価されにくいのが事実だ。しかも、いったん文学的に高い評価を受ける場合、作者は「作家」に決め付けられ哲学や史学などの他の分野の実績は疎かにされがちだ。1600編の詩を残した金麟厚の場合もそうだ。

白教授が採用した対談形式は、これまでに各分野で築き上げられた研究成果を総動員し、金麟厚という人物の多様な側面に迫っているだでなく、彼を通して当代の儒者たちの生き様と考え方を読者に丁寧に案内してくれる。

歴史の人物を単に客観的な研究対象としてだけでなく、一人の「人間」として出会うのは、読者だけでなく、研究に取り組む学者にとっても大変楽しいことだ。

白教授は「詩と酒と人が好きだった金麟厚というゆったりとした『人間』に出会ってから、自分自身が変わっていることに気がついた」と語った。約500年の歳月を飛び越えて竹の森に一緒に座って天命図を描く二人の対話に耳を傾けながら、金麟厚という大人物に出会う。それを通して読者も変化していく自分を発見することができるのならば、なかなか普通には体験できない喜びになるだろう。



金炯瓚 khc@donga.com