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「誤報」

Posted March. 13, 2003 22:17,   

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今は新聞製作をコンピューターでするために誤字脱字が少ないが、文選工たちが鉛活字を手で抜いて組み版をしていた時代には、間違いが日常茶飯事のように起きた。戦争中だった50年8月、大邱(テグ)毎日新聞が1面トップ記事の本文に李承晩(イ・スンマン)大統領を李犬統領と誤植してしまって、社長が拘束され、主管が辞任する騒ぎが起きた。「大統領」が 「犬統領」になっていたので、権力の周辺では大騷ぎが起こったが、見方によっては、単純な間違いで新聞社の社長まで拘束したのは、あまりにも厳しかったような気がする。

◆54年には避難先の臨時首都で釜山(プサン)日報が「大統領」を「大領」(韓国語で大佐を意味する)と誤植して、訂正報道を出して、注意を受けたことがある。文選工たちの間違いで受難にあいながら、新聞社も独自の救済策を用意した。「李承晩大統領」「朴正煕大統領」は鉛活字6個を一つに縛っておいて、文選する時に発生しやすい間違いを事前に防止した。言論は迅速さ、正確さ、公正さを生命とするが、迅速さと正確さは相反する側面がある。秒刻みで動くニュースを速かに報道しようとすれば、不本意だが正確さに問題がしばしば生じたりする。

◆盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が「誤報との戦争」を宣言して「悪意のある報道」に対しては、差別対応するように指示した。言論として誤報とは本当に恥ずかしいことだ。大統領が指摘する前に、言論自ら「誤報との戦争」を誓い、正確かつ公正な報道を実践すべきである。しかし盧大統領が言う「誤報」は誤字脱字のような製作上の単純な間違いを意味するようではない。「誤報」または「正確ではない報道」の意味は見方によって異なる。盧大統領が閣議で、金振杓(キム・ジンピョ)経済副総理に指摘したことをめぐって、大統領広報首席秘書官室が発行する「ブリーフィング」とスポークスマン発表が違うことを見ても、客観的な報道がどんなに難しいかが分かる。

◆盧大統領が政界に跳びこんで大統領になるまで、友好的言論もあり、批判的言論もあったはずだ。盧大統領が大統領選挙で勝利した後、初めて訪問した言論社と初の記者会見媒体を見れば、盧大統領の政治歴程で形成された「彼我媒体」の輪郭を描くことができる。盧大統領は今や「運動圏弁護士」または「辺方の政治家」ではない。荒波を乗り越えて大韓民国号を引っ張っていかなければならない大統領は多様な意見に耳を傾け、バランスの取れた見解を持たなければならない。「誤報との戦争」が盧大統領の政治経歴から生じた「批判的言論」との戦争を意味するものではないことを願う。

黄鎬澤(ファン・ホテク)論説委員 hthwang@donga.com