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[書評]悲劇の老斤里事件を集中追跡する 「老斤里の橋」

[書評]悲劇の老斤里事件を集中追跡する 「老斤里の橋」

Posted January. 03, 2003 22:54,   

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「老斤里(ノグンリ)の橋」/チェ・サンフン、チャールズ・ヘンリー、ミサ・メンドザ著/ナム・ウォンジュン訳/412ページ/1万5000ウォン/インゴル

AP通信は1999年9月29日、老斤里民間人虐殺記事を世界に配信した。事件の内容は、韓国戦争初期の1950年7月26日、米軍の引率下で避難していた忠清北道永同郡(チュンチョンブクド・ヨンドングン)の住民たちが老斤里で米軍航空機から爆撃を受け、7月26〜29日には近くの橋などで米軍によって200人あまりが殺傷されたということだった。

本書は、老斤里事件報道で取材探査部門ピューリッツァー賞を受賞した3人のAP記者が、事件報道前後に約3年間調査した資料をもとに老斤里事件を再構成したものだ。

AP記者たちは老斤里事件を取材する途中で、ばく大な量の秘密解除文書を追跡した。そうしているうちに、米国立文書保管所から唯一老斤里事件が発生した1950年7月の米第7騎兵連隊通信日誌だけが消えた事実を突き止める。なぜその文書だけが消えてしまったのか。その日誌は老斤里避難民処理について、命令系統上の現場通信内容と現場状況が記録されている可能性が高い文書だ。

AP記者たちは2002年7月、もう一つのがい歌をあげる。現在、米カリフォルニアに住んでいるマック・ヒリアード氏から、「第7騎兵連隊の通信日誌は確かに存在していたし、その日誌に7月末の大規模な避難民攻撃内容が記録されていた」という証言を確保した。当時、第7騎兵連隊本部の記録兵だったヒリアード氏によると、老斤里事件当時、第7連隊本部に1つの報告内容が伝えられてきた。それは「約300人の民間人を攻撃した」という内容で、消えた第7騎兵連隊通信日誌にヒリアード氏が直接記録したという内容だった。

その証言は、原著の「The Bridge at No Gun Ri」(2001年)にはなかった内容で、今回、韓国語翻訳版の準備が真っ最中だった時に出てきた。この本にはその証言の全体内容が初めて公開された。

AP報道後、老斤里事件はベトナムで起きたミライ事件といっしょに米軍が犯した代表的虐殺事件と規定された。ミライ事件は、ベトナム戦当時の1968年、ベトナム中部クァンナム州ミライ村で、子供と女性を含めた民間人500人あまりを米軍が虐殺した事件だ。この事件は探査報道専門のハッシュ記者の暴露記事で世の中に知らされ、米軍も仕方なく裁判を開いて責任者を処罰するにいたった。しかし、たった1人、ウィリアム・コリー中尉 だけが有罪判決を言い渡されたし、それも3年後に釈放された。

韓米両国は2001年1月12日、老斤里事件の調査結果報告をそれぞれ発表した。当時のビル・クリントン前大統領は声明書を発表し、「深い遺憾(deep regret)」を表明したが、違法事実は認めなかった。米国防総省の調査報告書は、米第5空軍第35戦爆機大隊が1950年7月26日と27日に、老斤里地域ですくなくとも3回の空中攻撃をしたという報告と当時の操縦士たちが避難民行列を攻撃しろという命令を受けて作戦に臨んだという証言を受け入れなかった。

老斤里事件の生存者であるチョン・ウンヨン氏の息子のクド氏が最近出版した「老斤里は生きているー50年間米国に堂々と立ち向かった話」(ベクサン書堂)といっしょに読めば、全ぼうを理解するのに大いに役に立つはずだ。



宋平仁 pisong@donga.com