「達人は人生最高のプレゼント」 ギャグコンサートの「達人」が最終回収録
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NOVEMBER 14, 2011 04:48.
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「いや、こりゃ、難しい」
9日、ソウル汝矣島(ヨイド)のKBS公開ホールの出演者・控え室前。トレーナー姿の背の低い男が、一輪自転車の練習に余念が無かった。「一山(イルサン)から汝矣島まで、これに乗って通う人もいるそうだが、何で、こんなにうまくいかないのかな…」。いつものように汗水たらしながら練習を繰り返しているこの男。「達人」の金炳萬(キム・ビョンマン)だった。「1年前から、車のトランクの中にいれてはいたんですが、きちんと練習することができませんでした」。
この日は、金炳萬が3年11ヵ月間率いてきたKBS番組、「ギャグコンサート」の最長人気コーナー「達人」の最後の収録日。13日の放送を最後に、視聴者らはこれ以上、「達人」を見ることができない。07年12月9日、「達人に会う」という名前で、韓国ワイン鑑別士大会の優勝者と5大名唱パンソリ(韓国固有の民族芸術)の達人を紹介した同コーナーは、2回目から、「達人」という名で定着した。
3回から、「16年間ただの一度も排便をしたことのない、『無便』金炳萬先生」を披露し、「16年間…」という紹介の仕方を保ってきた。記録力の達人、「うっかり」先生、発音の達人「どもり」先生、女性の世話をする「ナンパ」先生、集中力の達人、「アダルトビデオ」先生など、260種類を超える達人が登場した。その間、無名の金炳萬は、10年、KBSコメディー部門の芸能グランプリを授賞する「お笑い界の達人」になった。
●「ほほえましい空気の中で立ち去る」
「達人」先生として最後の日を送る感想について聞いてみた。
「悲しくはありません。ギャグコンサートを12年間やってきて、コーナーが終わるたびに、ほっとしながら、一方ではさびしかったですね。達人はとりわけ長かったから、吹っ切れてから新しいことを始めるのに、もう少し時間がかかりそうなんですが」。
達人が幕を下ろすことになったことについて彼は、「拍手を受けるときに、立ち去りたかった」と話した。「今がちょうどいいですね。後輩たちがよく頑張っていてくれて、空気もいいでしょう。この空気の中で、他のものを準備することができ、(辞めることへの)心の負担もより少ないです」。ギャグコンサートの視聴率はこの5週間、連続して20%を超えた(AGBニルソンメディアリサーチの資料)。
彼は、最も記憶に残る達人として、「達人ショー」を選んだ。達人が再び「盛り上がる」きっかけになったからだ。昨年9月の秋夕(チュソク、陰暦8月15日の節句)」の特集で放送された達人ショーで、彼はリング上でだけ生きてきた「玉ねぎ」金炳萬先生、水族館で潜水したまま生きてきた、「アワビ」の金炳萬先生などを披露した。この達人ショーは、「The Master Show」という英語名で、国際エミー賞・非台本エンターテインメント部門で、本選の上がった。受賞作は21日、米ニューヨークで行われる授賞式で発表される。
「達人」は、「動作止め」(3年3ヵ月)を抜き、ギャグコンサートの最長コーナーという記録を立てた。司会者役のリュ・ダム(32)は、「このように長期間続いたコーナーは、なかなか現れないだろう」と主張した。「寂しい。皆顔は笑っているが、今日は皆ぼっとしている。こんなに長く続けたコーナーは初めてなのでそうだ」。「達人」の愛弟子、ノ・ウジン(31)は「ネタを展開するアイデアより、扱わなかったネタそのものを探すのに、より時間がかかった」と振り返った。ギャグコンサートの演出者、ソ・スミンPD(39)も、「どうして、あのようなネタを毎週探してこれるんだろうと、感心するばかりだ」と話した。
金炳萬にとって、「達人は、人生最高のプレゼント」だ。「達人をする前までは、舞台で上がりやすかったですね。今は、思い切って自分の意思を伝えることのできる自信ができました。芸能人らは、外に出るときは、サングラスをかけて顔を隠したりするが、私はそのように隠すのがいやで、気に食わないです。(達人で有名になってから)、周りの人々から、変わったといわれるかもしれませんが、自分のスタイルは全く変わっていません。相変わらず、トレーナと運動靴姿で歩き回っています」。
●「汗のにおいが、何かをやっているような気にさせる」
「達人」が見せるコメディーは、ぷんぷんと汗のにおいのする正直な挑戦の産物だ。毎週一度ずつ、白紙状態から始め、達人へと成長する姿に、視聴者らは拍手を送った。
「汗のにおいがしてこそ、何かをやっているような気がします。それこそ、金炳萬スタイルですね。達人で必要な小物は、小物室に頼まず、一つ一つ自分で作ってきました。最初から最後まで自分で作ることに、満足感を覚えます。『ワイヤ工芸の達人』の時は、ワイヤのビキニ水着やかつら、傘などの小物の準備だけで4日間もかかりました。このようなところを、多くの方々が感じたために、拍手を送ってくださったのではないでしょうか。一所懸命やってますから」
お笑い芸人として、彼の個人史も同様に、下っ端からスタートし、トップに上がった汗のにおいのする過程だった。全羅北道完州郡華山面(チョルラブクド・ワンジュグン・ファサンミョン)で生まれ、高校卒業前から、建設現場で働いた。20歳の時、30万ウォンを手にしてソウルに上京し、27歳の時に、KBSの公開採用お笑い芸人になるため、ソウル芸術専門大学の入試に6度、百済(ベクジェ)大学入試に3度、MBCお笑い芸人採用試験に4度、KBSお笑い芸人採用試験に3度も落ちた。
「人生を生きていれば、叩いても開かれない時がありますね。見方によってはちょっと、愚鈍かもしれませんが、私が開く時まで叩きます。ある人は、前に氷の面があれば、『あれを踏めば壊れるだろうか?壊れないかも知れないのに…』と、長時間、悩んでますね。私は、ひとまず踏んでみます。壊れれば、回っていけばいいし、壊れなければ、そのまま進みます。迷う時間を減らし、早く体で当たってみます。自分が本当に好きな、夢を見ている、切実な、そのようなものがあれば諦めませんね。どうしても手に入れたいと思うのが、私の性格ですね」
彼は、「達人」のみならず、他の番組でも挑戦的なコメディーに試みてきた。KBS番組「コメディーショー、ヒヒラクラク」(2009年)の「金炳萬は生きている」コーナーでは、超高速カメラで撮った撃破シーンなど、体を使ったギャグで目を引いた。今年、SBS番組、「金姸兒(キム・ヨンア)のキスアンドクライ」では、フィギュアスケートに挑戦し、出演チームのうち、2位についた。
現在、出演しているSBSの番組「ジャングルの法則」は、ジャングルで体一つで生き残る、「リアルサバイバル」番組。彼は、刀一つで魚30匹を取っては仲間を食べさせ、様々な道具を開発し、ハウスやトイレを作るなど、「道具的人間」の真髄を見せた。このような努力は、「金炳萬コメディー」と、学術論文の分析対象になったこともある。(シン・スア氏の漢陽大学大学院修士号論文、「人物を通じてみた韓国のスラプスティックコメディーの特性研究:お笑い芸人『金炳萬』を中心に」)
●達人の挑戦は続く
最後の達人は、一輪自転車の達人、「四輪」金炳萬先生だった。スタッフらが最後の舞台装置を準備する間、金炳萬は、舞台に上がり、観客らに対し「最後のコーナーなんですって?ところが、この後も50件のコーナーがありますので、最後まで見ていてください。君!出られないようにドアを閉めて」とジョークを飛ばした。客席から「顔が焼けている」という言葉がでると、「ここで、SBSのことを口にしたら、叱られますよ。化粧を濃くしたまでです。絶対、あそこにいってきたから焼けてるわけじゃないんですよ」と笑った。彼は、パプアニューギニアで、『ジャングルの法則』を収録し、達人の最後の収録を3日後に控えた6日、帰国した。熱帯の日差しに体中が焼けた。
同日の収録は、一度もNGも出さずに終わった。一輪自転車に乗ったまま、縄跳びをする姿に、ソ・スミンPDすら、リハーサルの途中、「自分が見ていてもはらはらどきどきする」と、気を揉んだが、一度で成功した。収録の終わりごろ、彼は、「皆さんが私を育ててくださいました。真心を込めて、お辞儀したいと思います」と最後の挨拶をした。後輩たちは、達人チームの3人を交互に胴上げした。
収録を終えてから出てきた金炳萬の表情は明るかった。記者に、「今日の収録はどうでした?」と聞いたあと、「言葉通り、拍手を受けるときに、立ち去るような気がした。最後に収録し、観客らも疲れているはずなのに、きらきらする瞳で、見守ってくれた」と満足した。疲れていないかと聞いてみたら、頭を横に振った。「笑い声を食べているのに、疲れるはずなんてないでしょう。笑い声は、自分にとっては最高の強壮剤です」。
達人後の活動計画について、金炳萬は、「上辺は異なるだろうが、なんか、挑戦するキャラクターで、ドラマなど、様々な分野で視聴者の方々と会うことになるでしょう」と話した。
「自分の中にある全てのものを引き出してお見せしました。これ以上続ければ、みすぼらしくなりそうなので、とりあえず、ここで降りますが、いつかまた、別の達人をお見せすることになるでしょう。コメディーは永遠に、自分にとっては基本です。死ぬ時まで、コメディーをし、北野武やチャーリー・チャップリンのような、お笑い芸人の金炳萬として記憶されたいと気持ちに変わりはありません」
彼は、ジャングルに住む原住民の前で、スラプスティックコメディーを披露したところ、お腹を抱えて笑ったというエピソードを伝えながら、「笑いの根源性」を感じたという。
「国境と言語を超えるギャグをしたいと思います。チャンスがあれば、日本や米国に進出し、言葉の通じない人々まで笑わせたいと思います」。彼は、日本の小劇場での公演のために、時々日本語を学んできており、自分だけのお笑い専用劇場を建てるため、建国(コングク)大学・建築工学科・大学院で構造設計を学んでいる。
ギャグコンサートの達人は終わったが、達人、金炳萬先生の挑戦はまだ終わっていない。