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家族、すっぱ過ぎるレモンのようだが チョン・ギョンニン氏新小説「母の家」

家族、すっぱ過ぎるレモンのようだが チョン・ギョンニン氏新小説「母の家」

Posted December. 15, 2007 03:36,   

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「人生は私にすっぱ過ぎるレモンなどを与えるだけだが、私はそれを投げ捨てずにレモネードを作ったのだ」

以前のチョン・ギョンニン氏(45、写真)はレモンを投げる話を小説に書いたが、すでに同氏はそのレモンをどうやって自分のものにするかを知っている。

チョン・ギョンニンが新しい長編「母の家」を出版した。ちょうど「家族」がトピックになっている時世だ。「シングルママ」「混血の子」など多様な形の家族をわが社会を取り入れようとしているところだ。「母の家」もこのように変貌した家族の意味を探ってみることに方向を据えて出発する。

「うちの母さんは典型的な韓国女性のタイプよ」「先輩のお母さんも家出したんですか」

あっさりして困惑させられる導入部。女子大生の対話を通じて、作家は今日の家族がどのような状況に置かれているかを知らせてくれる。チョン氏の数多くの小説同様に、「母の家」の母も幼い娘を置いて家出した。家出する前、母は「ガラスで作られたバレー人形のようだった。ガラスで作られたバレー人形は足首にひびが入ってベッドに寝かされていた。いつまで経っても立ち上がれそうになかった」。

マイホームを持つために昼夜を問わず金を稼いだ母は、ようやくマイホームを持つようになった。20歳の大学生の娘、ホウンはその時になってようやく母と一緒に暮らせるようになった。母が家出した原因になった父は、「一昔前のコンピューター容量のように情けない」386世代、「真実を選ぶこともできず、生存を選ぶこともできなかった」男だ。そのような父がホウンにスンジのことを頼んで姿を消してしまう。スンジは父が母と離婚した後に再婚した女の娘だ。「元夫の妻の娘」の面倒まで見る羽目になった母は、ホウンとスンジを連れて、父を探し始める。しかし、その過程で彼らが確認するのは時代に若さを捧げた人々の深い疲労感と敗北感だ。

「母の家」に帰った家族は、社会の基準から見ると、怪訝極まりない。離婚した母は恋人がいるが、結婚するつもりはない。娘のホウンは同性の後輩に愛を感じ、自分が両性愛者ではないか苦しむ。母ともホウンとも「血縁では何のつながりもないが」幼いスンジは、2人に頼るしかない。

チョン氏はこのおかしな家族を淡々と平穏に描く。そうすることによって社会の通念から外れた新しい家族ももう受け入れなければならないのではと、読者に問いかける。「料理のにおいが一杯で、台所で水の流れる音がうるさい」家で初経を始めたスンジに、母は「もうあなた自身をもっと徹底的に保護しなければならない」と言い聞かせる。ホウンは母と額をつきあわせて性のアイデンティティについて悩み、「自分なりの幸せを追求する権利がある」という母が悟った人生の指針を受け入れる。

一人だけの傷で苦しんでいたチョン氏の前の作品とは違って、「母の家」で作家は人との和解を模索し始める。「私と私の子ども、そして世間に対する純情な愛を証明する気持ちで最後まで書き上げた」と作家は語る。チョン氏小説の変化を感知できるところだ。

この前に出たコン・ジヨン氏の「楽しい我が家」が思い浮かぶ。作家は、「2005年に構想して途切れ途切れ書いた」と言い、「影響を受けていない」と明言した。それほど「家族」が時代の鋭敏な課題になっているという意味であろう。



kimjy@donga.com