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「一寸先は闇。けれど、手を差し伸べるだれかがいるから…」

「一寸先は闇。けれど、手を差し伸べるだれかがいるから…」

Posted December. 08, 2007 03:05,   

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コン・ソンオク(44、写真)氏の小説は、いまやなじみが薄い感じがする。歴史上の悲壮な人物や、さわやかではつらつとした都市の男女が登場しないストーリーは「最近の小説」とは違う。背をかがめて低いところにいる人々と長く目線を合わせてきた作家。読者に早々と忘れられていく人々がこの社会にいることを、コン・ソンオク氏は気づかせてくれる。

新小説集『明朗な夜道』で作家が話を聞かせてくれる方式は、苦痛と疎外意識を辛らつに伝えるばかりではない。作家の書き方は温かくなった。「2006年、作家が選定した今年のいい小説」に選ばれた表題作「明朗な夜道」を見てもそうだ。主人公は、痴ほう症を持つ母親の面倒を見る21歳の看護助手の女。兄2人は信用不良者で、離婚した姉は仕事をしながら息子を育てなければならないため、母親の面倒が見られるのは話者だけだ。ある日、彼女に奇跡が起きた。救急患者として病院に運ばれてきたハンサムな男が彼女にデートを申し込んだのだ。外国の歌手の歌をうたって聞かせながら、やさしく主人公に声をかけ、抱いてくれる男。独りでいる母親のことに気が及ばず、毎晩、男の家に行っては男が聞かせてくれる外国の歌手の名前を覚えようと躍起になる女の姿は、浮わつく気持ちはわかるような気がする一方で、切なくさせる。このような状況で、作家はユーモラスな情況を挿入して読者の笑いを誘う。寂しい人物の境遇は、読者にかえってそっぽを向かれがちだが、作家は生き生きしたユーモアを通じて、読者を作品に夢中にさせる。「彼の髪からは、私にとって初めてかぐシャンプーのにおいがした。(…)そのシャンプーのにおいが何なのか聞く勇気がなくて、私はつい、シャンプーの名前を尋ねてしまった。彼は(…)私をずっと凝視して不意に言った。『ダブリッチシャンプー』」。

「プロ」の男と「素人」の女の恋愛は、もちろん悲劇に終わる。女をつかのま幸せにしてくれた恋愛は、結局、女の境遇がどれほど厳しいかを悟らせる契機になってしまう。ところで、作家は寂しく夜道を歩く女が、焼酎の杯を交わす外国人労働者に目をやるという設定を登場させる。給料もきちんともらえない日々だが、人生に対する希望を捨てない労働者たち。作家は恋愛に失敗したばかりの女に、人生の袋小路に追われた読者たちに、「真っ暗な夜道だが、明朗な歩き方」をする人々の姿を見せる。

「明朗な夜道」だけでない。短編「誰も知らない秋」では、インジャはいきなり夫に死なれ、借家から追い出されるし、「ドーナツとトマト」では、ムンヒは夫の倒産と離婚でヤクルトを配達して暮らさなければならない。コン・ソンオク氏の以前の小説でそうだったように、女性たちの生き方は辛酸極まりない。ところが、作家はそこに希望をそっとのせる。ムンヒは病気で死にかけの元夫のフィリピン人の妻に手を差し伸べ、インジャは家庭を失って一人になった男性が差し出す手を握る。コン氏はこのように、身近なところにいる人との共生から、希望を導き出す。

「私はただ、彼らの目によく見えない風の吹く道端でも咲いては散り、咲いては散りつつ、他のだれでもない、彼らだけの小さくきれいな歌がうたえるようになることを望むだけだ」と話す作家。

傷と苦痛を明朗に、生き生きと乗り切っていく主人公たちの姿を通じて、作家はその望みをかなえた。



kimjy@donga.com