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アダルトビデオの映画人たち、「ネックもありますね」

アダルトビデオの映画人たち、「ネックもありますね」

Posted November. 13, 2007 03:03,   

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独立映画、「セクファドン」(15日公開)を見て笑いこけた。一時、ビデオ向けのアダルト映画で名をはせた「クリック映画会社」出身のコン・ザグァン監督が、その経験を活かして作った映画だが、実はアダルト物ではなく青春成長物語だ。

映画はアダルト映画への考え方を問う街頭でのインタビューで始まる。ある女性は、「それは、売春婦をもって撮る映画でしょう」と答え、あるばあさんは、「この畜生め!」と悪口をいう。普通の人々の認識はそれと大差がない。

コン監督はアダルト映画人たちの苦労を見せたかったという。内容は映画監督を夢見る青年「チンギュ(チョ・ジェワン)」が生活を苦にして、「オールヌードボーイ」というアダルト映画の助監督を務めながら起きる出来事。どこへ行っても悪口を浴びせられる。監督は映画の中の姿が現実だと語る。単なるコーヒーショップでの出会いの場面を撮ろうとしても、撮影場所の提供を受けることすら容易でない。アダルト映画だとすれば、皆、嫌がるのだから。

「監督、悪いと思うが、私がコーヒーショップのオーナーでもいやなはずですよ」(記者)。「…分かりますね」(監督)

映画でチンギュは、アダルト女優を紹介してほしいとねだる友人に、「彼女たちも普通の女だ」と怒るが、アダルト女優になりたいという地元の少女には、「そのようなことをすれば結婚できない」と言う。アダルト女優の1日分の給料は70万‾100万ウォンと、制作費の大半を占める(好況の時の制作費は2000万ウォンで、撮影期間は5日、安いときは500万ウォンで1日で撮ったりもする)。

今は、「アダルト動画」のため、アダルト映画市場が崩壊されたが、00年代初頭までは、1ヶ月に1000万ウォン以上を稼ぐ女優もいた。我々の偏見のように、「山千海千」の人生を生きてきた女性もあり、演技はしたいが、使ってもらえるところがなく、仕方なくやる人もいた。それなりのプロ意識はあったが、おおむね、家族には内緒。結婚の時隠して、気をもんで生きたりもする。

映画の中の人物たちも自分の職業について、自嘲的に卑下したりするが、「あんたたちはもっとひどいじゃないか」と、人の悪口を言ったりもする。自分たちもよく分からないためだ。

コン監督はかつて、いつも自分を「アダルト映画人」と紹介した。反米感情を素材にした「旗印を立てて」のようなユニークなアダルト映画を作った。そのような彼も傷つきながら成長した。

「昔はアダルト映画を批判しながらも、こっそり見る人たちを表裏の合わない偽善者だと思ったが、今は違いますね。それが一般的な人間の心ですよ」

よしあしを問わず、彼らには単なる「生計手段」に過ぎない。適当に撮るんだなんて?映画の中でチンギュは、「適当にセックスの場面だけうまく撮ればいい」という監督とけんかするが、実際の現場では「適当に」なんてない。制作費のため、セックスの場面は必ず一発で撮るようになるが、数時間も叫んだり、汗を流して「体で演技」をする役者たちには大変な重労働だ。

また、狭いモーテルの部屋で、音のため冷暖房もつけず、所狭しと数時間も立っている10数人のスタッフにとっては、隣で服を脱いでいることなんて関係なく、「早くここから脱出したい」という気持でいっぱいだという。「裸一貫で」することでも、ただで出来ることではない。



yourcat@donga.com