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古代日韓交流史の証「吉野ヶ里遺跡展」が大人気

古代日韓交流史の証「吉野ヶ里遺跡展」が大人気

Posted November. 07, 2007 07:24,   

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1989年の発掘以来、見学者数約1500万人。日本九州佐賀県神埼郡の吉野ヶ里遺跡に足を踏み入れた瞬間、毎年170万人もの観光客が訪れている理由がわかった。約2000年前の古代にタイムスリップしたのではないかと思うほど遺跡をきめ細かく復元し、歴史教育の現場として活用しているためだ。

吉野ヶ里は、日本最大の集落跡であり、世界の考古学史に残る遺跡だ。日本の弥生時代(紀元前5世紀〜紀元3世紀)、韓半島の文化が日本に伝わった様子が確かめられる遺跡でもある。

最近、韓国の考古学界や文化財愛好家の間で吉野ヶ里が人気だ。ソウル龍山区(ヨンサング)国立中央博物館企画展示室で12月2日まで開催される「吉野ヶ里、日本の中の古代韓国」に毎日1000人以上の人が足を運んでおり、展示会を観覧した後、吉野ヶ里を見学しようとする人も増えている。

先日、京畿道城南市(キョンギド・ソンナムシ)の土地博物館の踏査団とともに吉野ヶ里を訪れた時、団員たちはうらやましさの嘆声をもらした。復元された竪穴住居や高床式倉庫などの遺構98棟、環壕、木柵、水田跡をはじめ、出土された遺物でいっぱいの展示館を見学しながら、韓国の代表的な青銅器時代の遺跡でありながら放置されたままの忠清南道扶餘郡松菊里(チュンチョンナムド・ブヨグン・ソングクリ)遺跡を思い浮かべた。

吉野ヶ里遺跡の面積は117ヘクタール。復元のテーマは「弥生人の声が聞こえる」だ。遺跡の一角では、今も墳墓の発掘が行われている。佐賀県教育委員会は、この巨大な墳墓発掘作業が終われば、来年中に発掘現場をドーム形の展示館にする計画だ。吉野ヶ里遺跡では、竪穴住居での宿泊体験や古代の田植え体験、織物体験など、多彩な体験イベントも行われている。

また吉野ヶ里遺跡からは、弥生時代に日本と韓半島で文化交流があったことを立証する遺物が多く出土した。当時、青銅器時代〜初期鉄器時代にあった韓半島の農耕文化が日本に伝わり、日本の古代文化の発展に大きな影響を与えたことを示す遺物である。日本列島に集落ができ、原始共同体から国家の形態へと発展する過程を示す遺物でもある。

国立中央博物館で展示されているのが、こうした展示品である。それに同時代の韓国の遺物を比較展示することで、見比べられるようにしている。展示品は計600点あまり。韓国の遺物は緑色の展示台に、日本の遺物は赤色の展示台に陳列されており、簡単に見分けられる。

今回の展示会だけでも、韓国の青銅器時代の文化の全体像はもちろん、当時の韓日文化交流の実態が容易に把握できる。壷の口に粘土を付け加えた無文土器、銅剣、銅鏡、青銅器の鋳型など、韓国と日本の遺物を見比べれば、その特徴の類似に驚きを隠せないはずだ。2000年前、韓半島と日本の交流がいかに盛んだったかを示す証と言える。

10日午前10時には、「吉野ヶ里と韓日古代文化交流」をテーマにした国際学術シンポジウムや様々な体験イベントが開催される。この展示会は来年1月1日から2月11日まで、日本の佐賀県立美術館に場所を変えて引き続き行われる。



kplee@donga.com