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シネマの「オールドボーイ」 今度はどんな「狂気」を夢見るのか

シネマの「オールドボーイ」 今度はどんな「狂気」を夢見るのか

Posted October. 20, 2007 03:11,   

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その方が私の記憶の中に刻み付けられたのはずっと前、雑誌に載せられた映画「ドレス・ツー・キル」に関する評論に接してからです。その方がラマーズ呼吸法を身につけてはいませんが、私にも愛する娘があり、一時グランド・ビデオを探し求め、ワールドカップを怖がり、トム・ウェイツの歌が好きなのは似ていますね。その方のお名前は朴賛郁(パク・チャンウク)さんです。

何かに魅せられたように数年間、映画に没頭することができ、刺激的で奇異なことに対する好みを持つことになったならば。それも、私には福音書のようなものだった監督の本のおかげです。「映画に詳しすぎる男」が書いた「映画を見ることの隠密な魅力:ビデオドローム」(1994年・最近、「朴賛郁のオマージュ」で再出刊)は私にとって、不眠の夜を明かすようにした千日夜話です。

映画のタイトルと、それを圧縮的なイメージで表現するために、他の映画のタイトルを借りて作った副タイトル、例えば「羊たちの沈黙」はトリュフォーの「柔らかい肌」から、「ハンナとその姉妹」は森田芳光監督の「家族ゲーム」から持ってくる驚くに値する想像力。その本を通じて、これまで経験できなかったB級ムービーを探し求めてテープがこすれるほど見返した経験ももう懐かしい思い出です。

1994年、晩秋のごろだったと覚えています。座席バスに乗ると、一番後部座席に座る習性を持った私は、同じく後ろの隅の席に頭を下げたまま座っていた監督と出会います。「先生の書き物を楽しく読んでいます」。これが私が覚えている初の挨拶でした。

時々映画マニアから感じられるニヒリストの機運と、同時に今よりずっとスマートだった姿。監督は無名の自分をどうやって知るかと、不思議そうに私を見ました。そう言えばその時は、監督がデビュー作の「月は…太陽が見る夢」だけを発表していただけでしたので。しかし、監督の書き物に魅了された若者の本心が通じたのでしょうか。瞬間、口元に微笑みと共に聞いてもいなかったのに、監督ならではの口調でビデオ雑誌社に原稿料をもらいに行くところだと言って、日常的な対話を交わして別れました。

そのように漠然とした尊敬心から監督を「私の心の星」に据えるようになった決定的な契機は偶然訪れました。数年前、飲み会の後、忠武路(チュンムロ)の裏通りをだらだら歩いていた時、夕立を避けるために飛び込んだミョンボ劇場で見た「復讐は僕のもの」。

適当な酔いと雨に降られた身体が闇の中で安息所を探していて、ただタイトルに引かれて選択した映画に別に期待をしていなかった私は、それから上映が終わるまで無防備の状態でした。

映画の中で電気ショックを受けたベ・ドゥナのように、「私の人生の最高の傑作」を体中で受け入れなければならなかったです。ネス湖の黒い水のように強烈かつ不吉な機運と不条理なユーモアは、生活に追われてしばらく忘れていた映画を見ることへの熱情を再び目覚めさせてくれました。

そうしているうちに昨年、また偶然な機会で、監督と二度目の再会をはたすことになります。嬉しさの余り、ちょっとだけ挨拶ばかりするつもりだったのが、30分もその場に居続けてしまったのですから、振り返ってみればよほど恥ずかしいことではありません。最初お会いした時とは違って、監督には人性を熾烈に獲得した人から感じられる賢者のやさしさが流れていました。

学生時代から監督の日常を見守ってきた映画評論家の金ヨンジンさんの新刊に、「彼は優しく自分を放任するように振舞うが、知ってみれば、芸術的な体験で自分を鍛えることに病み付きになっていた」と書きました。実際、監督と音楽のことについて話すと、ビオラダガンバで録音した古い音楽からドイツのアルバム社のECMの現代音楽まで知り尽くしている魂の自由が感知されます。

本の話をする時はストリンドベリの紹介されていない戯曲と、良い翻訳の「鑑定教育」を渇求する探書主義者の欲望を発見します。それはシネフィルの姿を越えて、全方位的文化と芸術の海で泳ぐルネサンス人の再現です。

その一方で、自分の映画の中に登場する残忍な表現方式は操作された演出だからいくらでも見られますが、いざ「リング」のように恐ろしい映画は映画館で見る勇気がなくて、家でDVDで見るという監督のエピソードを通じて、限りなく複合的でかつ矛盾している人間の姿を発見するのです。

短い推薦の言葉をお願いするため「ヒッチコック」の翻訳の初稿を送らせていただいた時、撮影の準備でてんてこ舞いの忙しさの中でも1376ページもある原稿を最後まで読まれて校閲してくださった「親切な監督さん」。

そのありがたいお心に応えるため、監督が一番好きなアーチストだと、あるインタビューで話されたトム・ウェイツのLP7枚を、困難にもかかわらず手に入れて飲み会に持っていったことがあります。参加された方々との対話に埋もれて、アルコール機運で満ちている放浪者の荒々しい声をきちんとご感想できなかったようですが、いつでもお聞きになれるようにその場に置いてきたのですから、一度聞いてみていただきたいものです。

監督が好んで使う表現どおり、「ただ」お願いを申し上げますと、「現代芸術の巨匠シリーズ」は遠い後日、監督が最後を飾ってくださってほしいです。このシリーズの誕生そのものが「私の心の星」に向けられた私のオマージュであることをご存知であるなら。

「どうもすみません。海外から帰ってきたばかりですので…。ところで、私に『私の心の星』になる資格があるかどうか知りませんね」

一通の電話は「私の心の光」だった。18日午後、辛うじて連絡がつながった朴賛郁(44)映画監督。ウルユ文化社のチョン・サンジュン常務の原稿をもらってもう10日ぐらい。朴監督の声は黒くこげていた心に赤薬になった。

「チョン常務は最初、偶然居合わせるようになりました。それぞれ、別のグループとお酒を飲みに行った時でしたね。初めて会ったのに、話がよく通じて…。座席バスですか?正直、覚えていません。その話もその場で初めて聞きました」

朴監督の初の記憶は2年前、本の「ヒッチコック」の推薦の言葉を書いた時だ。一面識もないのに頼みが入ってきた。ちょうどウルユ文化社の「現代芸術の巨匠」シリーズは監督も耽読した本。推薦の言葉の提案が「栄光で胸が一杯」だった。

推薦の言葉だけ書けばよかったことを朴監督は大きくした。朴監督自らも書き物に「病的なこだわり」があると言っているほど。送られた原稿の誤訳はもちろん、綴りの誤りまできめ細かく指摘した。チョン常務としては煩わしいことでもあったのに。以後、初対面でそのような気配どころか、「余りにも親切だった」。

「ウルユは伝統の家門ですね。ところで、名門家(チョン常務はウンソク・チョン・ジンスク会長の孫)の子孫らしくなく謙遜していました。そして、子孫らしく教養が豊かで自負心があふれていました。近くなるしかなかったんです」

朴監督は、「かえってウルユが私の心の星」だと語った。子ども時代、ウルユの世界文学全集は監督の精神を形成した本。今も大事にしている。このようなチョン常務との縁と本に対する愛情で出版社の企画諮問委員まで引き受けるようになった。

「近況ですか。新しい作品の脚本がほとんど仕上げの段階です。タイトルが『コウモリ』と知られていますが、ホラーのイメージがあって変えるつもりです。吸血鬼を素材にしていても『愛に関する映画』なんですから。関心を持ってくださってありがとうございます。今度必ずお会いしましょう」

親切な監督さん。そうやって記者の心にも星になった。



ray@donga.com