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根の深い木を育て、泉の深い底の水をくみ上げてきたこの土地の文化人、韓彰璂

根の深い木を育て、泉の深い底の水をくみ上げてきたこの土地の文化人、韓彰璂

Posted October. 13, 2007 07:03,   

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1997年2月初め、一人の男がこの世を去った。世間は彼の死を悼み、メディアでは彼の死を知らせた。

ソウル大学法学部卒業…法曹界が自分の道ではないことを悟り…米8軍で、航空チケットや英語の聖書をなどを販売し、ブリタニカー百科事典を国内に紹介…1976年、「根深い木」の創刊をきっかけに、ハングル専用や横書きを導入…1980年、新軍部によって「根深い木」が強制廃刊された後には「泉の深い水」を創刊…、「韓国の発見」や「パンソリ全集」を刊行するなど、伝統文化の復活にも人一倍の情熱をそそいだ…。

同氏の履歴は長いが、もしかしたら、一行だけでも十分足りるかも知らない。

月刊誌、『根深い木』や『泉の深い水』の発行人だという略歴。今は廃刊されたものの、一時代を風靡したこの二つの雑誌は、歴史や伝統を愛し、人生のゆとりを感じようとした人々にはひとつのシンボルのような存在だった。

氏の名前は韓彰璂(ハン・チャンギ、1936〜1997)。これから紹介する3冊の本は、彼が生前に書いた文を集めたものだ。『根深い木』や『泉の深い水』の編集者だったユン・グビョン(ビョンサン共同体代表)、金熒允(キム・ヒョンユン=金熒允編集会社代表)、ソル・ホジョン(プルムウォン広報理事)の3氏がまとめたものだ。

本を読んでいるうちに著者が、「古いものの美しさ」に夢中になって生きた人だったことが、おのずと分かる。古い物を眺める彼の視線は繊細で暖かい。

「昔の墓を掘り出して文化遺産を求めるのも、先祖の精神を求めることではあるが、私たちの精神はそれだけではない。農民の三またのくわや、おばあさんが藁(わら)を燃やす火鉢にも精神は宿っている。

韓国の精神は、わらじの節々にももつれており、冠のひもの結び目からも揺らがれている。牛肉汁をかけたご飯の新鮮でない味の中にもあり、新妻の花のかんざしの端にもある」。(1973年)

同氏の文章は、座って書いたものではなく、現場を直接訪ねて、人々と会って書いたものだ。その故、なおさら情にあふれ、生々しい。彼は足は筏橋(ボルギョ)の5日市や、安東(アンドン)麻や閑山(ハンサン)からむしの織物、白磁の山車、古い民家の屋根、マゴジャ(伝統的な上着)とチョッキのボタンなど、限りなくつづく。

「筏橋の市場への入り口は6ヶ所ある。…入り口に差し掛かれば、鋳掛屋、豚などの殺し屋、靴直し屋、かさを修理する人たちが立ち並んで、座っている」と始まる、「田舎の5日市」(1977年)。著者の視線は、油絞り屋や米屋、釜屋、干し物屋、呉服店、陶器屋などでにぎわう各地の市場を隅々までくまなくあさった。これに、放蕩者や箸をたたきながら酒を注ぐ簡易飲み屋の酌婦、「ミス・ミン」の話まで加われば、それこそ、市場の真ん中に入っているような気がする。

彼の韓国語への愛情も目立つものだ。外国語の氾濫の中で、韓国語の純粋さを守ろうとした物語、「あって」と「あっての」との違いや、「ため」と「ゆえん」の違いについての物語も面白い。

「韓国の発見—全羅南道(チョルラナムド)の巻」に書いた、「あの人たちの一生」(1984年)は、一本の人類学的、民俗学的なドキュメンタリーといってもよさそうだ。この文は全羅南道地域で生まれた、当時40から50代の成人の人生を普遍的に描写したものだ。「生まれたばかりの彼を抱いたおばあさんが、綿糸でぐるぐる回ったへその緒を、はさみや歯でばっしり切るとともに、彼は韓半島の西南側のある奥まった隅で、人生の第一歩を踏み出した」と始まり、一人の人生を感動的に描いている。

文章の所々には、韓彰璂流の人生の淡白さや慇懃さがにじんでいる。真摯で、美しい人生を生きようとした、一人の文化人の内面をそっと覗くことは非常に魅力的なことではないか。



kplee@donga.com