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『JFK・ケネディ評伝』米国人が最も愛したが、米歴史上最大の過大評価

『JFK・ケネディ評伝』米国人が最も愛したが、米歴史上最大の過大評価

Posted September. 08, 2007 06:55,   

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ハンサムな子どもが一人いた。

人もうらやむ富豪出身。しかし、優秀な兄の陰に隠れて注目を浴びることはなかった。乳離れした直後から、病気によくかかった。成績も、得意科目だけ平均水準。裕福な家の子どもにしては、きれいな服を着るわけでもない。そんな彼が、米国歴史上最年少で、初のカトリック信者出身の大統領はなるとは。

ジョン・F・ケネディ、米第35代大統領。

米歴史上6番目の短命の(在任期間1961年〜1963年)「1000日の大統領」。しかし、オーラは長くて濃い。偉大な大統領を問う世論調査では、今も首位を争う。米国人が最も愛し、世界が惜しんだ首長だ。

しかし、『JFK・ケネディ評伝』の著者ロバート・ダレク教授は、「真実の少ない偽りではなく神話だ」と信じる。実際、1988年、米国史学界、言論界の関係者75人は、ケネディを「米国歴史上、最も過大評価された著名人物」に挙げた。2000年の政治史学界の評価も、ケネディは、歴代大統領の順位で中間程度だった。

大衆の愛と評壇の冷笑。ダレク教授は、まさにその中間地点で、ケネディに対する解剖を始める。米政治史と政治評論の該博な知識を武器に、40年近く集めた資料を再整理する。熱くも冷たくもなく。

『JFK・ケネディ評伝』が明らかにする内容には驚かされる。ケネディの健全なイメージは、作り上げられたものだ。彼は「生涯病弱」だった。ダラスで起きた狙撃の時も、脊椎固定用支持装置でなかったら、3発目の致命的な銃撃を避けることもできた。ピューリッツァ賞を受賞した『勇気ある人々』(1957年)の代筆と受賞操作疑惑、下院議員の時、マッカーシズムに対して見せた好意的な態度も彼を苦しめた。大統領時代、議会との関係がスムーズではなく、内政の点数も「まあまあだった」。

「米国人の理想のタイプ」と賞賛されたジャクリーンとの関係も、政略のにおいがする。「上院の永遠な独身」を夢見たケネディ。結婚は、大統領になるための仕方のない選択だった。結婚も浮気心を静めることができず、ジャクリーンの妊娠中にも、ヨーロッパで乱交パーティーをした。妻が流産した時も、しばらく帰らなかったという。さらに、彼のセックス・スキャンダルは大半が事実だ。

多くの短所にも、ケネディには人にないものが「一つ」あった。大きな世界を描ける「青写真」。誹謗を越えて未来を提示し、不利な選挙を覆した。若さ以上にニューフロンティア精神を標榜した。「米国人の生活と法に人種は存在しない」(1962年テレビ演説)。人種差別に無情だという評価も、さらに大きな絵を提示することで飛び越えた。

著者は言う。「多くのケネディ伝記に、さらなる暴露性伝記は必要ない。大統領を去り、『魔法』と『呪文』の見せかけを取り除き、実物そのままを完全に修復してみよう。ケネディは、美徳と欠陷を兼備したため、非凡でありながら平凡だった。論争のない結末より、結末がなくても論争しなければならない。ケネディはそんな価値がある」。原題『An Unfinished Life』(2003年)。



ray@donga.com