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「私の家系は映画DNA」

Posted August. 27, 2007 07:26,   

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父は17年ぶりに再びメガホンを取った。そんな父親のために2人の息子が立ち上がった。映画『母は死なない』(9月13日封切り)は、1970年代の人気俳優セった河明中(ハ・ミョンジュン)監督が、1990年の『ひとりで廻る風車』以来久々に作った、それも2人の息子とともに作った「親子3人」の作品だ。

同映画は、作家チェ・ホと母親ハン・ヘスクの話だ。未亡人と友人のように、恋人のように付き合ったチェ・ホが母親から離れ、しばらくぶりに再会し、老けて死んだ母を思い出す過程を描いた。作家・崔仁浩(チェ・インホ)の同名の小説が原作だ。河監督が、シナリオと演出、年を取ったチェ・ホ役に扮し、若いチェ・ホ役を長男サンウォン(慶熙大学演劇映画科兼任教授)氏が、プロデューサーは次男のジュンウォン氏が務めた。河監督の一家は有名な「映画家族」だ。河監督の兄は、『馬鹿たちの行進』など7本の映画で韓国映画史に大きな足跡を残した河吉鐘(ハ・ギルチョン)監督だ。

息子の演技を評価してほしいという言葉に、河監督の表情が明るくなった。「難しい役なのに、大変上手くやった。大学時代、演劇をしている時から上手いと思っていた」。横にいたサンウォン氏は、「母が、『そんなことを言っては元も子もない』と忠告したのにああだ」と言って、照れくさがった。いっぽう、河監督自身の演技はどうか。「上手くできなかった。NGをたくさん出して、申し訳なかった」。

映画の撮影現場では、早く撮ろうとするプロデューサーと完璧を期したい監督が衝突するのが常だ。親子の間ではどうか。「どれほど急かしたことか。他人ならケンカするだろうが、息子なので恥ずかしくて」(河監督)。

映画は、中壮年層には郷愁を誘うが、若い観客の反応はどうか。しかし河監督は、「母親はさびしいと悲鳴を上げたが、私には聞こえなかった」という原作の文句を引用して、「すべての人間のルーツは母親であり、誰もが成長して母親から独立する過程を経験するため、若い人も共感するだろう」と自信を見せた。そして、河監督は「疎通」を強調した。映画界でも韓国社会でも、世代間の疎通がうまくできていないと。

「やってみると演出は簡単ではない。この17年間、勉強しました。シナリオを書くことだけで3年間勉強したんです」

1973年、大鐘賞主演男優賞を受賞した翌日、「大変なことになった」と言って、せりふの勉強のために専門家を訪ねたという彼らしい。「昨日受賞した人が、私を馬鹿にするのか」と言う専門家に、「私はニセものだ」と言った河監督は、今でも映画を絶えず勉強する「若い監督」だ。彼の疎通能力はそこから生まれる。



yourcat@donga.com