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闘争—抵抗の時代からくみ上げた思い出のつるべ

闘争—抵抗の時代からくみ上げた思い出のつるべ

Posted July. 13, 2007 07:46,   

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対空警戒警報のサイレンが鳴り響いたときに感じた恐怖を、いまだに覚えている。そのあとに続く「これは実際の状況です」という切羽詰った案内放送。戦争でも起きるのではないだろうか。そのような恐怖で胸が縮んだ。

李ウンピョン氏の亡命や中国民間航空機の不時着の出来事などで、1983年には「実際状況」というサイレンの音を頻繁に聞かされた。面白いことも多かったはずなのに、それからも結構長い間、1980年代といわれればその時の恐怖が真っ先に頭に浮かんだ。

韓国の文学の分野でも、その80年代を長い間覚えていた。民主化闘争やイデオロギー、恐怖や傷跡の時代としてだ。小説とは記憶の叙事だから、80年代を情熱的に生き抜いてきた作家たちが、抵抗や闘争の時代としての80年代を文学に盛り込んだのは当然のことだ。

だからといって、80年代的な記憶は、はたして時代への傷跡のみだろうか。最近の作家の小説では「異なる80年代」があったことを知らしてくれている。この作家たちが覚えている80年代は、日常的なそして極めて文化的な時代だった。

河成蘭(ハ・ソンラン、40)氏の小説集『ウェハス』(文学村)に掲載された短編「1984年」。作家が覚えるその年は「ユリ・ゲラーの年」だった。イスラエル人だったユリゲラが訪韓してテレビに出て、手もつけずにスプーンを曲げる超能力を披露したのだ。「音声変調機でも通ったかのように伸びて、うなるような話し方をしていた。『き〜み〜ならできる〜う。すーぷーんをま〜げな〜さい』」。

貧乏な家で生まれたため高校さえ卒業すれば、すぐさま働きに出なければならなかった「私」。ジョージ・オーウェルの暗鬱な長編「1984年」と同じ時期だったが、「私」には、時代の影より「き〜み〜ならできる〜」という「超能力の言葉」がぐんと迫ってきた年だった。

今週、発行される鄭梨賢(チョン・イヒョン)氏の小説集「今日のうそ」(文学と知性社)には、「秘密課外」という短編が載っている。1985年、中学生になった主人公の少女が、秘密課外授業をはじめたとき、「空中には花粉とともに、猛烈なほど辛い催涙弾の粒子が飛び散ったが、日常は自然と流れ、こともたちは成人した」ときだ。

「生地のズボンにワールドカップの運動靴」が制服だった家庭教師。同じクラスの組長、バスケットボールの選手だったホ・ジェを好きになったように、家庭教師に夢中になってしまった少女は、しかし、その年のはかない恋に傷つけられる。ミルクシェーキをおごってくれたり、大学のキャンパスを案内してくれたりした家庭教師がある日、いきなり、何の音沙汰もなく消えてしまう。

小説の主人公に1985年は、「教科書に出るくる言葉がすべて正しいことではない」という先生の悲壮な声より、先生の横顔を見るとき高ぶっていた心臓の音が、さらに大きく聞こえた時代だった。

地方の小都市での少年の成長期を描いた金エラン(27)氏の短編「スカイコンコン」。小説集「走れ、アビ」(創作と批評)に収録されたこの短編は、「科学東亜」を見る兄と、スカイコンコンで遊ぶ弟が成長する様子を細かく描いている。

「コオオーンと跳ね上がり、コオオーン着地するのではなく、姿勢をそのまま保つためには、絶え間なくコンコンコンコン走り回らなければならなかった」スカイコンコンは、そのように無我夢中にコンコンと飛び回りながら送った幼年期の思い出を代表する。

「月の中のウサギの鉛筆」やナイキ、ソジュミルク、100分ショー。振り返ってみれば80年代にはこのようなものもあった。386世代(1960年代に生まれて80年代に大学に通った世代)の占有物だと思われた80年代的な思い出に、最近の作家たちはこのように、異なる思い出を見せてくれる。

そのため、かつての文学的な意味は固定されずに豊かになる。週末、あなたの覚えている80年代はどうだったのか、その時に享受した小さくて些細なことを思い出してみてはどうだろう。あなたは時代に押された姿ではない、異なる大事な顔もあったことを見つけるだろう。



kimjy@donga.com