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ベルテブレ、帰郷の夢を捨て、朝鮮の「朴燕」として生きる

ベルテブレ、帰郷の夢を捨て、朝鮮の「朴燕」として生きる

Posted June. 23, 2007 04:33,   

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J・J・ベルテブレ(1595〜?)。ハメルより26年も前に朝鮮の土を踏んだオランダ人だ。あの有名な「ハメル漂流記」と一部の史ソが残ってはいるものの、記録は微々たるものだ。歴史のかけている空間は小説家の想像力で埋める。金ギョンウク(36)氏がそのことを遂げた。言葉も通じない国、外観もまったく異なる人々が住むところに流れ着いた異国の男が「朴燕(パク・ヨン)」という朝鮮の名前を得て、朝鮮人と共に大砲を作り、朝鮮人の兵士と共に丙子胡亂(ビョンジャホラン、17世紀の朝鮮と清との戦争)に出るまでの過程を小説として書いたのが、長編小説「千年の王国」だ

金氏は小説集「張国栄が死んだなんて」、「誰がカート・コベインを殺したのか」などを通じて、映画的な想像力を小説に取り入れた作家として知られている。そんな彼が歴史小説に飛び込んだのは異例なことだ。なのにすらすら読める。金薫(キム・フン)氏を思わせる短文の擬古体文章(作家自信も否定する代わりに、「好きな作家の影響を受けるのは悪いことではないと思う」と語る)、朝鮮の人間ではなく、ベルテブレ本人を語り手にして、異邦人の目に映った朝鮮の風景をものめずらしげに描く試みなどが、スピード感を与える。

1627年、オランダ国籍のウベルケルク号がインドを離れて日本の長崎に向う。海上貿易が盛んな時代だった。暴風雨に見舞われて、見知らぬ土地に流れ着いた時、乗組員のうち生き残ったのはただの3人。

ベルテブレや料理人のエボケン、少年の乗組員のデニソンは、仁祖(朝鮮の第16代王)の意に沿って、都城の守備隊に配属される。

ずうずうしいエボケンは異国での生活にすぐなじむが、幼いデニソンは見知らぬ土地になかなかなじめない。デニソンは脱出を試みて殺される。

小説を読んでいくと、想像すらできない状況におかれたベルテブレの気持ちが分かるような気がする。作家自信が、「神はどうして自分にこのいたずらのような運命を与えたかを悩んだはずだろうし、その末、結局はその不可解な運命を受け入れただろう」と説明している。実際、最初にベルテブレの目に映った朝鮮は限りなく奇異なところだ。「この王国の異教徒たちは太陽の熱さや月の冷たさを一身に持ち合わせている。簡単に極端を行き来する彼らの病的な闊達さに私は恐れを感じた」。しかし、火砲師匠の老人を手伝って大砲を作り、生活風俗や倫理、宗教などを身につけながら、朝鮮は次第に住みづらいところではなくなる。異邦人のこのような心理の変化を作家は、悲壮な文体で描いている。

金靛氏の「南漢山城」や申京淑(シン・ギョンスク)氏の「リジン」など、歴史から現在的な問題意識を導き出す「ニューエイジの歴史小説」(評論家の徐榮彩)が最近の新しい傾向だ。金ギョンウク氏の小説は、21世紀とはどのようなかかわりを持っているだろうか。作家は、「朴燕の人生は国境の意味がなくなった今日こそ意味がある」と語る。溶け込みづらい異国について悩みながらも溶け込んでいったベルテブレは「世界市民」として生きていくのがどのようなことなのかを如実に見せている。



kimjy@donga.com