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萎んだ花も彼の手では再び春を咲かせる

Posted June. 20, 2007 04:01,   

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厳密に言えば、彼女たちに必要だったのは作曲家ではなく、救世主だったのかもしれない。ドラマ「三葉クローバー」の視聴率の低調で危機を迎えた李ヒョリゥら「B嬢のビデオ」の主人公ペク・ジヨン、セクシースターのイメージから脱皮したかったアイビ、そして6年ぶりにカムバックするヤンパまで。単純な新曲発表を超えて、「危機」の状況から逃れたかった彼女たちの足は、自然に作曲家の朴グンテ(35)に向けられた。

朴グンテが準備したのは音楽だけでなく、従来のイメージに代わる新しい「服」だった。2005年、李ヒョリの広告音楽「アニモーション」を皮切りに、2006年ペク・ジヨンのバラード「恋しない」、今年発表されたアイビの「誘惑のソナタ」とヤンパの「恋、それが何だっての」まで、朴グンテにはいつの間にか「女性歌手のカムバック専門の作曲家」という新しいニックネームが付けられた。

「新しい解釈が必要な歌手たちと作業をしたわけです。新人とは違い、既成歌手、特に、女性歌手にはよく似合う服、つまりヒット作があるのですが、私は踏襲しないで捨てました。人によく知られていない、その歌手の違う魅力を探し出したかったのです」

▲「女性歌手の隠された魅力、歌を通じて探し出してあげたい」〓1992年、歌手の朴ジュンハのアルバムを皮切りに、15年間作曲家の道だけを歩んできたので、理論から肉感まで絶頂を迎えているのではないだろうか。女性歌手との作業も「朝飯前」ではなかっただろうか。朴グンテは首を横に振った。

「実は、歌手が男性であれ女性であれ作業の違いはありません。私は作業をする時、『コンセプト』を一番重視します。歌手の顔立ち、声、行動など全体的なイメージを描いていると、ある日、はっきりとしたフィーリングがやってきます。その後すぐ楽譜を書いて作業をします」

このような理由のためだろうか。朴グンテに一番難しかった歌手を聞くと、迷わずアイビを挙げた。「『誘惑のソナタ』のアイデアが誕生するまで6ヵ月がかかった」という。ペク・ジヨンも「イメージが否定的なので、むしろバラードに迂回しようと思ったんですが、肝心の本人が歌いたくないと泣きながら訴えた」と話した。

▲作曲生活15年間、ヒット曲だけで約200曲〓朴グンテは1994年、初のヒット作「ルーラー」の「百日目の出会い」から「エコ」の「幸せな私を」、「ジェックスキス」の「ボムセンボムサ(かっこよさに命をかける)」などをヒットさせ、ユン・イルサン、ジュ・ヨンフン、金ヒョンソクらとともに1990年代の代表的な作曲家として名声を得た。不思議なのは2000年代に入って、「ティ」の「時間が経った後」、「チョPD」の「友よ」などさらに多くのヒット曲を出したということ。今やヒット曲だけで200曲にのぼる。朴グンテに一年の収入を聞くと、「過分な収入を得た」とかわされた。その分、急変する歌謡環境によく適応したということなのだろうか。

「実は、私は最近の音楽はあまり聞かないのです。簡潔になって、姿が似ている、いわば『テーマ』のはっきりした曲が多くて、それに夢中になると、抜け出ることができないのです。マーケットも狭くなって、コンピューターで音楽を聞く時代なので、短い時間で人々の耳を引かなくちゃいけないでしょう」

「私の音楽的なルーツは1970年代」と言う朴グンテは、今もスティービー・ワンダー、アバのような歌手の音楽をよく聞く。最近の音楽が満たしてくれない豊かなアイデアのためだと言う。子どもの頃、高校のバンド部でギタリストとして活動した彼が作曲家になったのもそのような音楽が与えてくれる新鮮さのためだった。オーディションを受けるため作曲をしている途中、音楽的な知識が浅いことを恥ずかしく思って、音楽を聞いて楽譜に書き移すことから和声法などを手当りしだいに独学で勉強した。

企画会社「オレンジ・ショック」の代表取締役としても活動している朴グンテは、現在、フィソン、イル、コ・ユジュンなど男性歌手のアルバム作業に参加している。



bsism@donga.com