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あるがままの姿が、そのまま詩となる

Posted June. 06, 2007 03:33,   

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向き合っている写真作家と同世代だと分かった詩人の高銀(コ・ウン)氏は、「何も言わずに、これからは呼び捨てにしよう!」と言い出した。写真作家は悩んセ末、思い切って大声を上げた。「おい、高銀!」。すると詩人は家全体が吹き飛ばんばかりの大声を上げて高らかに笑った。カメラに撮られた詩人は、「禁酒」と書かれた紙を壁に貼っていたが、翌日になると、酩酊して詩を書いた人であり、中央情報部に頻繁に呼び出され、自宅のように出入りしながらも、気が引けるどころか、羽振りを利かせた人だった。

庶民を題材とした写真、「白民」シリーズで有名な写真作家、陸明心(ユク・ニョンシム、74)氏が、写真集「文人の肖像」(ヨルム社)を出した。1970年代、美術や音楽、舞踊など、芸術家の写真を撮るのに力を入れてきた陸氏が、文人71人の写真だけを集めて出した本だ。梁柱東(ヤン・ジュドン)、朴木月(パク・モクウォル)、徐廷柱(ソ・ジョンジュ)、車凡錫(チャ・ボムソク)など、韓国文学史を照らした文人たちの顔と写真にまつわるエピソードに出会える。多くは作家本人も目にすることのなかった写真で、世間に初めて公開されるものも多い。

「青鹿派」詩人、朴斗鎭(パク・ドゥジン)を訪ねていった日、詩人に芸術院から連絡がきた。芸術院の会員として推薦したから、自宅にその知らせが届くだろうという内容だった。詩人は即座に断った。それなのに、まったく動じない様子だったという。両手で顔を支えている写真の中の朴斗鎭は、それこそ頑固で竹を割ったような性格の持ち主という印象だ。

女性文人たちは陸氏を嫌ったという。「整形外科ではなく、一般外科医のように対象を扱ったため」だった。そのような陸氏が出会った姜恩喬(カン・ウンギョ)。小さい娘と一緒に撮られた母親の詩人は、それこそ「どこでも目にするありふれた小市民」だった。姜氏は質問にだけ答える非常に口数の少ない人だったが、写真作家は詩人の沈黙から、相手の言葉に耳を傾ける謙虚な姿勢を確認している。

布団に横になって、壁に体をもたせかける徐廷柱は、限りなく無防備で人間的な姿であり、ある意味で、すべてのことに無心な様子でもある。陸氏は、「韓国の文壇を代表する大詩人に、田舎者が便所にしゃがんで用を足しているような様子に撮られていたと、文句を言われたこともある」と振り返る。

印刷所まできて推敲するほど緻密で厳しかった金春秋(キム・チュンチュ)。東伯林(トンベクリム)事件に巻き込まれて、中央情報部に連行されて戻ってきた時は、心身ともにぼろぼろとなっていた千祥炳(チョン・サンビョン)…。陸氏のカメラに撮られた作家の顔からは、人間性や作品の世界までを十分推し量ることができる。写真作家の本人は、「年をとるにつれて、文人たちの芸術家という衣を脱ぎ捨てた姿が目に入り、人によっては生き方によって、人生のにおいが漂う雰囲気も少しは感じるようになった」と語る、その通りの姿だ。



kimjy@donga.com