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「油断したら…合併症で3度の手術」

Posted June. 04, 2007 06:16,   

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糖尿病患者の大半は、糖尿病にかかったことを初めは軽く考える。医者の注文が、「薬をしっかり飲みなさい」、「血糖値のチェックをしなさい」、「運動傣齔カ懸命しなさい」などの「平凡な」処方だからだ。患者は、糖尿病と診断されても、特に症状を感じないケースが多い。そのため、初めて診断を受けた後は病院をほとんど訪れず、合併症が現われてから病院へ行く人が多い。

声優でタレントの李致雨(イ・チウ、69)さんもその一人だ。34歳で糖尿病にかかった事実を初めて知ったが、軽く考えていた。50、60代に合併症で肺の手術を2度、心臓の手術を1度受けた。

「初めて診断を受けた1970年代初めの頃は、糖尿病は大衆的な病気ではなかった。管理が悪ければ合併症が発症する恐れがあり、死ぬこともある恐ろしい病気だと知っていたら、その時からしっかり管理しましたよ」

李氏は、23歳で演劇俳優や声優として社会生活を始めた。貧しい演劇俳優に許された唯一のぜい沢は、練習が終わった夜、仲間と一緒に飲む酒だった。彼は2リットル入りの焼酎を一人で空けるほど「大酒飲み」だった。

「糖尿病に最も危険なのが飲み過ぎ、食べ過ぎ、過労だというが、酒を飲めば当然食べ過ぎる。昼には働き、夜には酒を飲み、毎日が過労だった」

特に体の異常を感じなかったが、主演タレントとして旺盛に働いていた頃、体の異常に気づいた。テレビのドラマ「閑中録(ハンチュンロク)」でヨンジョ役を務めていた時、疲労がひどく、小便が近くなり、色も濃くなった。

ソウル大学医学部に通っていた弟のソンウ(前東国大学慶州病院長、現江陵東仁病院放射線科医師)氏が「糖尿病のようだ」と言ったので、病院を訪れた。初めの病院では、単なる疲労だと言われた。しかし、休養しても疲れが取れず、ほかの病院で再び診断を受けたところ、糖尿病がひどいと言われた。

李氏は、休養が必要だと言う医師の忠告を受け入れることができなかった。タレントとして活発に活動していた頃で、薬をしっかり飲めば治るだろうと考えた。体がすこし良くなったと思うと、また不節制な生活を続けた。タバコを1日2箱吸い、録音や撮影で徹夜が常だった。全国巡業の時は、地元の有名料理を食べた。

結局、50代になった時には、ドラマに出演できないほど体が弱くなった。咳が止まらず、少し働いても疲労が襲った。台本もよく覚えられなくなった。徹夜の撮影をして何度か吐血し、怖くなった。

「病院で、『ランニングシャツに穴が空くように、肺に穴が空いた』と言われました。免疫力が低下し、肺結核とともに『アスペルジルス』という菌に肺が感染したと言われました。糖尿病はこのように10年以上音もなく進行し、ある日、合併症となって伏兵のように飛びかかってきます」

6ヵ月間、抗生剤を服用したが効果がなく、肺の一部を摘出する手術を受けなければならなかった。90年代末、50代後半のことだった。

「少し良くなったと思ってたまに酒も飲んだら、もっと大きな手術を受けるはめになった」

03年、ドラマ「太祖王健(テジョ・ワンゴン)」に出演していた時だった。南漢山城(ナムハンサンソン)での真夜中の撮影中、吐血した。スタッフと後輩たちが驚いて出演を止めると、李氏は、「ドラマの脚本で私を殺せば、治療を受けることができる」と答えた。そうしてドラマの中で死んだ後、盆唐(ブンダン)のソウル大学病院に入院し、肺疾患が再発したという診断を受けた。2度目の肺の手術で再び肺を摘出したため、李氏の肺は現在3分の1しか残っていない状態だ。

肺の手術をしてから数ヵ月後には、心筋梗塞の手術まで受けなければならなかった。これも、糖尿病患者によく起きる合併症だ。李氏は、膝の血管を取って心臓に移植する大手術を受けた。

2度の大手術を経験し、やっと李氏は酒とタバコを完全にやめた。できるだけ歩き、毎日ゴルフ練習場に通って運動もする。1日に2度、インスリン注射も欠かさず打つ。

李氏は、「父(故李ジョンロク氏)が第7回東亜(トンア)マラソン大会で優勝するほど、健康な家系なので、私がこんなに糖尿病を管理しなかったのに、合併症がこの程度で済んだのが幸いだ。糖尿病の診断を受けた人は、酒とタバコを必ずやめ、医者の言葉をよく聞いて運動したほうがいい」と話した。



artemes@donga.com