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滔々と流れる時代の波

Posted May. 26, 2007 03:38,   

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「—『いや、そうじゃない』と/つまらぬことを言うな/すべからく歴史の滔々たる波に乗って/時代とともに流れることを知らなくては…/その友の言葉に私はうなずいた」(『帰らざる川』より)

「いや、そうじゃない」と力強く詠った金光圭(キム・グァンギュ)詩人(66)の詩語が、いつからか友に「つまらぬこと」のように聞こえた。

「時代とともに流れる多くの同時代人に/とうていついていけず/茫然と川辺で眺めた/滔々たる波に乗って彼らは誇らしく/手を振りながら過ぎ去った」

川の流れに乗って行く人々と川辺に立った自分との距離は、「時間」の別の名だろう。ところが、その川は不思議なことに、行ってしまった人々は「永遠に帰ってこない」。皆が手を振る人だけを見る時、詩人はその川が「帰らざる川」であることに気づく。

金光圭氏が新しい詩集『時間の柔らかい手』を出した。金氏は昨年、漢陽(ハニャン)大学教授を退任し、「専業詩人」になった。「時間の手に背中を押され、生業の現場から退いた」と言う。

9冊目の詩集を出す彼が、「詩作に専念することが、余生の授業として残ったのは幸いだ」と、謙虚に話した。

「後ろからそっと背中を押すように/見えない手/取り戻せない時間の/柔らかな手」(『孝行者の手』より)と詠うように、新しい詩集を貫くテーマは「年を取るということ」だ。

それは、生涯大切にしてきた手帳や住所録を忘れてしまうことで(『ある日』)、自分の体のことも忘れて生き、いつからか体のあちこちが痛いと騒ぐことであり(『体の声』)、健康は心配ないと無理に笑っていた友人の訃報をメールで知らされることだ(『文字メッセージ』)。簡単に理解できるほど、簡単に書かれているわけではない。20世紀と21世紀の交錯による詩人のめまいは、詩のあちこちから伝わる。

金氏は、「日常詩」で知られている詩人だ。難解な実験詩が主流の最近の詩界で、平易な言葉で書かれた金詩人の作品は、「詩が簡単に理解され、胸を打たれるジャンル」であることを改めて実感させる。

「久しぶりに真っ暗で静かな夕刻/不自然に鼻を高くしたタレントの人工的な涙の代わりに/ピザの出前のバイクが軽々しく突っ走り/道行く人のおしゃべりの声に混じって/路地で犬の吠える声/隣の家のおばさんが浴びせる悪口雑言…実に久しぶりに隣人と/町内の知らせが聞こえた」(『しばらくの間の停電』より)

テレビを見ていたある日の夜、停電で四方が真っ暗になった。目が見えないと耳が冴える。虫の音、木の葉の落ちる音。いつでもどこでも聞こえるその音が、人工的な涙を流すタレントの嘘の泣き声に隠されていたことを知った。もともとあったものの大切さを伝える詩人の本然の役割を金氏は忠実に果たしている。



kimjy@donga.com