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「シネマ天国永遠なれ」巨匠たちのプレゼント

「シネマ天国永遠なれ」巨匠たちのプレゼント

Posted May. 22, 2007 03:22,   

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映画史に残る彼ら巨匠たちがつかんだ3分間の映像には、瞬間を永遠としてつかむ巨匠らしい技が溶け込んでいた。ロシア監督のアンドレー・コンチェルロプスキーは、「かつてプーシキンは『短い手紙を書くほど時間に余裕がないので、長い返事を送る』と語ったが、短編映画は長編映画より、さらに濃縮された哲学や時間が必要だ」と、今回の作業の意味を述べた。

もっとも多く登場した戦略は笑い。北野武は、日本の田舎の色あせた劇場で、たった1人の観客のために映写機を回しながら、いつも失敗するのんきな映写技師として登場し、笑いを誘った。イタリアのナンニ・モレティは、自分の7歳の息子に、息子の好きな「マトリックス」と自分の映画の違いをひそかに語り、恥をかいたことを打ち明けて、大衆的な共感を引き出した。

一番のハイライトは、ブラジル出身のウィルター・サレスの、「カンヌから8944キロ離れ」という作品。中南米の二人の黒人がフランスア・トゥリポの「400回の殴打」が上映される映画館の前で、カンヌについてちんぷんかんぷん並べ立て、「カンヌは捨てられた小さい漁村だが、その村の村長はジルというとてもひどい奴だ」という言葉で、客席全体をどっと笑わせた。ジルはこの映画を企画したカンヌ映画祭のジル・ジャコブ執行委員長を指す。

次は思い出だ。候孝賢や張藝謀、陳凱歌、蔡明亮の4人の中華圏の監督たちは、事前に約束でもしたかのように幼い頃の映画がもたらすわくわくする心や興奮を美しく表現した。この映画の中の子供たちは真昼間から映画の上映を、首を長くして待ったあげく、映画が上映される夜には寝てしまったり、映写機の発電機の代わりに自転車の車輪を懸命に回したりながら映画に夢中になる。もっとも意外な映画は王家衛の「あなたにこれを手渡すために9000キロを旅したよ」だった。映画館ではじめて会った女性と激しい愛撫を交わした個人的な体験をもとにしたこの映画のなかの主人公たちのラブ・シーンは、彼のいかなる映画よりエロチックだった。

今日の映画に対する批判的な視線も感じられる。カナダ出身のアトム・エゴヤンは、白黒映画「ジャンヌ・ダルク」が上映されるスクリーンの前で、携帯電話の画面で他の映画を見ながら、ひっきりなしにメールを送る女性を通じて、イメージがあふれる時代に、かえって映画に打ち込めない世相を風刺した。英国の巨匠ケン・ローチは、マルチプレックス劇場で、非常識的な内容の映画を前に悩んだ親子が、結局サッカー場行きを決める場面を通じて、行き過ぎた商業化が映画基盤そのものを崩壊させることを愉快に警告した。唯一の女性監督であるオーストラリアのジェイン・キャンピオンは、男優たちの魅力に対する女性たちの賛辞が流れる映画館で、虫のような格好の女性が映画館の職員にいじめられ、結局踏みつけられる「レディー・バグ」という作品を通じて、男性中心の映画界を批判した。

しかし、この映画は何よりも、そのすべてを乗り越える映画の力に対する愛情でいっぱいだった。

ぺデリコ・ぺリニの「8と2分の1」に感動して、がらんとした客席も気にとめず、フィルムを休まずまわす女性劇場長、芸術映画には似つかわしくない無愛想な印象だったが、いざ映画を見てしまうとその感動におぼれてしまうカウボーイは、ほかならぬ映画に魅惑された我々自身の姿だ。

「彼ら一人一人の映画に」は、「シネマ天国」とは、世界最高の映画祭が繰り広げられるここカンヌではなく、全世界の映画ファンの心であることを、パノラマのような画面を通じて、力強く物語っている。



confetti@donga.com