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「チェコ映画の巨匠」イジー・メンツェル監督が訪韓

「チェコ映画の巨匠」イジー・メンツェル監督が訪韓

Posted May. 10, 2007 08:18,   

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「映画監督として最も幸せな時がいつかって?うーん…映画を撮らない時だね」

70歳を目前にしたイジー・メンツェル(69)監督は、「チェコ映画の巨匠」という呼び名が色あせるほどのいたずらっ子のようだった。ファンと記念写真を撮る時に突然舌を出すのは常で、20代の妻が同行していても、韓国女性は親切で美しいと冗談っぽく言っていた。

全州(チョンジュ)映画祭の審査委員長として韓国を訪れたメンツェル監督は、28歳の時に『運命を乗せた列車』でアカデミー賞外国語映画賞を受賞し、チェコ映画を世界に知らしめたチェコ映画界の伝説的な存在だ。3年後に「プラハの春」を迎えて発表した『つながれたヒバリ』は、ソ連の戦車に踏みにじられ、封切り直後に上映禁止処分を受けたが、21年後の1990年に、『ミュージック・ボックス』とともにベルリン国際映画祭ゴールデン・ベアー賞を受賞し、世界映画界の立志伝的人物となって復活した。また、メンツェル監督は昨年、「チェコの国民作家」ボフミール・フラバル(1914〜1997)の原作小説を映画化した『I Served the King of England』でベルリン国際映画祭国際評論家賞を受賞し、老いてますます盛んであることを誇示した。『運命を乗せた列車』『つながれたヒバリ』も、フラバルの小説が原作だ。

国内で紹介されなかったメンツェル監督の作品が、10日からソウル鍾路区(チョンノグ)シンムン路のシネキューブ光化門(クァンファムン)で開かれる特別展を通じて一般に公開される。悲喜劇の大家と呼ばれる彼の作品は、政治的に大変敏感なテーマをヒューマニズムに満ちた笑いで解いていく。フラバルとメンツェルのコンビは、李清俊(イ・チョンジュン)—林権澤(イム・グォンテク)のチームワークを連想させるほど、それぞれが国家の悲劇的な歴史の中で生まれた民族性を巧みに盛り込んでいく。しかし、後者が韓国的「恨の情緒」を悲劇的に捉えたとすれば、前者は悲劇的な状況であっても笑いの大騒動を繰り広げる。

「愚かなことは、悪いことよりもさらに悪い。そんな愚かさを告発するなら、真面目に論争してはいけない。それは、その愚かさを自分と対等の存在に格上げするからだ。愚かさには、冗談で対応しなければならない。そうしてこそ、愚かさよりも上にいられる」

『つながれたヒバリ』は、社会主義的で資本主義の毒素である侮辱の中で、強制労働させられたブルジョアの視線で、言葉と行動が一致しない社会主義体制をあざ笑う。彼らは韓国戦争と関連して、「米帝国主義者たちは、釜山(プサン)の海に溺れて死ね」というスローガンを拒否し、「一体、真実が何か分かっているのか」と反問する。彼らのうち、正義を叫ぶ大工、人間愛を強調する教授、そして愛を信じる主人公が、体制を批判する正しい言葉を言い、順に消える。彼らは映画のクライマックスで、「アオジ炭鉱」で会う。

同じ社会主義体制でありながら、北朝鮮では想像もできないこのような反共主義の映画を作り、20年間、創作活動を中断せざるをえなかったメンツェル監督は、亡命を拒否して黙々とチェコを守った。

「皆が逃げることはできないと考えました。私の映画で理念を批判する武器は、まさに私たちが踏みしめている具体的な生活でした。それを捨てて亡命をしたら、私には何が残りますか」

『運命を乗せた列車』には、早漏症で自殺まで図った主人公が、その治療のために年配の女性を求めてさ迷うシーンがある。封切り一週間の客の入りで映画を判断する最近の若い映画観客の「早漏症」に、彼の映画こそ「年配女性」のような治療剤になるのではないか。メンツェル監督はこのような記者の質問に、「それこそ大いに光栄だ」と言い、満面の笑みを浮かべた。



confetti@donga.com