Go to contents

「シティグループ」

Posted April. 21, 2007 07:23,   

한국어

1955年の結婚当時、職業も金も無く、親から結婚資金を借りなければならない立場だった。妻の実家からは認められず「娘が願えばいつでも家に帰ってくるようにすること」という脅迫めいた発言まで聞いた。結局、妻が妊娠9ヵ月になった時は、小さな会社の事務員になった。気兼ねせずに父や義父に金を要求し、2週間分の生活費をもらうと、「多くの周りの人たちは金持ちの父親から支援を受けている」と激怒した。親の友達の金や何人かの家族の金を失ったこともある。

米国金融界の「スーパースター」「伝説的な最高経営者(CEO)」と呼ばれるシティグループのサンディ・ワイルの創始期の姿だ。ワイル氏の生は典型的なアメリカンドリームだ。無一文で小さな証券取引所の一般社員から始めたワイル氏は、40年の間に世界最大のグループに育てた。100カ国余りで銀行、保険、証券、資産管理など多様なサービスを提供する複合金融企業であるシティグループは、2006年末基準で資産1兆8800億ドル、当期純利益215億ドルを記録し、世界最大の規模を誇る。

ワイル氏が書いた原題『The real deal』は本人が語るサクセスストーリーだ。無一文からスタートし、どのような方法で世界最高の企業を築くことができたかというプロセスを約600ページにわたって書いている。ワイル氏は本人の成功秘訣を「ブランド貪欲」「他人の不安感の活用」と語る。そのうち「ブランド貪欲」は、ワイル氏のトレードマークのようになった。ワイル氏は本人の会社である「コマーシャル・クレジット」を「プライメリカ」に、再び「トラベラーズ」に、最後に「シティグループ」というブランドに変更した。常に自分の企業より高い認知度や評判を持った企業の買収に死活をかけたワイル氏は、「ブランドの買収を通じて最高の専門家らを迎え入れ、大企業に育てることができた」とし「ブランド貪欲」に対する肯定的な側面を説明する。このような過程で使われたのが「他人の不安の活用」だ。財務管理面で保守的なワイル氏は無理な投資を避け、安定的な資金運用を好んだ。景気が不安定になり資金のやりくりに困っている有名企業が出てくると、買収合併の対象として攻略するためだ。これは大体成功につながった。

しかし、いつも成功したわけではない。代表的な事例がアメリカエクスプレス社に本人が経営したシアスン社を売却することだ。アメリカエクスプレス社のブランドのため、社長職を条件付で合併したが、4年後にワイル氏は権力から追い出され、社長職をやめざるをえなかった。ワイル氏はこの合併事例を本人の人生において最悪の失敗の事例として挙げた。しかし、成功した人が打ち明ける失敗はこの本の楽しさをさらに加える。原題『The real deal』(2006年)。



polaris@donga.com