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恐れに立ち向かってこそ救いを得る 映画『ぶどうの木を切りなさい』

恐れに立ち向かってこそ救いを得る 映画『ぶどうの木を切りなさい』

Posted February. 22, 2007 03:42,   

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ミン・ビョンフン監督の『ぶどうの木を切りなさい』は、神への順命と世俗の愛の間で揺れる、ある神学生の内面を描いた映画だ。スヒョン(ソ・ジャンウォン)はガールフレンドのスア(イ・ミンジョン)と別れて神学校での生活に集中するが、スアから結婚式の招待状を送られ、心が揺れる。スヒョンが学校をやめようとすると、学長の神父は修道院への避静を勧める。修道院で、スヒョンはスアに似たヘレナ修道女(イ・ミンジョン)に会って大きな混乱におちいる。

映画は、人々の心の中の恐れの影と、その重さを描き出す。スヒョンと修道院の院長神父、ヘレナ修道女などの登場人物たちは、内面の恐れのために否定し(嘘をつき)、回避する(逃げる)。問題から逃げれば逃げるほど、より大きな恐れに突き当たる。映画は彼らを通じて、恐れに立ち向かってこそ内面の平和と救いを得ることができると暗示する。スヒョンはガールフレンドの死によって、院長神父は区域の幼い少女が病死しようとする状況によって、そしてヘレナ修道女は亡くなった恋人にそっくりのスヒョンの登場を通じて、内面の恐れを直視する。

このような状況はミン監督の前作でも再演された。『ハチが飛ぶ』では隣家の金持ちの男性の横暴と対立せずに避けてしまった男性の恐れを、『大丈夫、泣くな』ではバイオリン演奏者に間違われ、ずっと嘘をつかなければならない男性の恐れを追う。ミン監督の3作品が「恐れと救いに関する3部作」である理由だ。3部作にはそれぞれ、登場人物たちが恐れから脱するよう手助けする賢者が登場する。『ぶどうの木…』では修道院の外国人の老修士がそうだ。老修士はスヒョンに「軽く、羽毛のように軽く」という言葉で、テーマを投げかける。「恐れから脱し、苦痛から自由になりなさい」。しかし、究極的にいって、賢者はまさにスヒョンの神様だ(そのためか、この映画には空から見下ろすようなエクストリームハイアングルショット(Extreme High angle shot)がたびたび登場する)。

ミン監督の映画は、韓国映画の地形図において、独特の地点に位置する。最近、韓国映画(市場)は「大衆性」というコードに集中している。大衆にやさしく声をかけ、大衆を気楽に楽しませる映画だけが好まれる。「大衆性」という商業映画の美徳であり、映画と観客の意思疎通は、製作者にとっても見る側にとっても幸せな風景だ。

ミン監督の映画はスターよりも、個性ある俳優たちの努力を引き出し、ブロックバスターのスペクタクルが見られない内面の風景を繰り広げ、神学校や修道院のような宗教的空間に視線を移す。観念的なキーワードのため、アプーローチが容易でなく、真剣さと軽さが映画全体の重さにバランス感覚を与えることができたらという残念さもある。しかし、逆説的に、そのため『ぶどうの木…』は韓国大衆映画には珍しい映画的体験を提供する。この映画を通じ、人間の内面に対する洞察と日常での救いの兆しをとらえる映画のパワーを見つけることは、真に「楽しい体験」になるだろう。映画の封切りは22日、映画観覧は12歳才以上。